沖縄の日本復帰前に統治の最高責任者だったワトソン高等弁務官が、在沖基地に核兵器を「貯蔵していた」と米軍が作成した口述記録で明言していた。米軍は1972年の沖縄返還までに核を撤去したとされるが、返還後も緊急事態には核再持ち込みを容認する密約が存在しており、米国統治時代に生まれた米軍の「既得権益」の源流がうかがえる。
ワトソン氏はインタビューで、日本政府の了承を一切得ることなく核兵器を持ち込めた当時の在沖基地の「自由度」の高さを強調している。
メースB核ミサイル基地の存在などで、返還前の核貯蔵は「公知の事実」ではあった。だが、歴代の高等弁務官は貯蔵の有無を明言しなかった。ワトソン氏の後任だったアンガー高等弁務官は68年2月、立法院代表がB52戦略爆撃機の撤去を求めたのに対し、「沖縄に核が配置されているかどうかという臆測による不安は好ましくない。核の有無は軍事機密なので言えない」と述べている。ワトソン氏が核貯蔵を明言した資料は異例なものと言える。
日本復帰に伴い、沖縄からの核撤去は果たされたとされる。ただ緊急事態に再び核を持ち込む別の「約束」も国民、県民に知らされることなく日米首脳間で交わされた。
日米が沖縄返還交渉をしていた69年5月に米政府中枢が定めた交渉方針は、沖縄に貯蔵する核兵器の撤去を検討する代わりに、特に朝鮮半島、台湾、ベトナムに関連して在沖基地を「最大限自由」に使用できることを求め、復帰後の基地固定化につながったとされる。緊急時の核再持ち込みも認めさせる方針も確認し、返還に後ろ向きだった軍部の抵抗を抑えたとされる。
近年は台湾有事の可能性なども議論され、アジアの緊張も高まっている。沖縄の「核抜き」は真の意味で訪れるのか、復帰50年の節目に改めて問われる。
(島袋良太)