届け、沖縄の思い 5・15県民大会「最後まで闘い続ける」新基地阻止へ連帯誓う


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登壇者のあいさつに拍手する県民大会の参加者ら=15日午前11時半ごろ、那覇市の那覇文化芸術劇場なはーと(喜瀨守昭撮影)

 50年前を思い起こさせるような雨だった。15日、那覇市久茂地の那覇文化芸術劇場「なはーと」には、県内外の労働組合や平和団体などから約千人が集まり「5・15平和とくらしを守る県民大会」を開催。復帰を知る世代も知らない世代も、共に沖縄の歩みを振り返り「基地のない沖縄と平和な日本をつくる」と誓った。

 大会では、14日に実施した平和行進の報告もあった。自治労沖縄県本部の大城悟委員長が、行進参加者をねぎらい「平和な日本、世界をつくるため、行動を継続していかなければならない。これからも頑張っていきましょう」と呼び掛けると、大きな拍手が起きた。

 「フォーラム平和・人権・環境」共同代表の藤本泰成さんは「基地のない沖縄を、沖縄のアイデンティティー再生を。沖縄の皆さんと最後まで闘い続ける」と連帯を強調した。沖縄平和運動センター共同代表の仲宗根哲さんは「基地のフェンスが続く沖縄の現状を見て感じたことを、自分たちの県に持ち帰ってほしい」と求めた。

 北海道や東京、被爆地の広島、長崎の団体の代表者らも登壇。名古屋学院大の飯島滋明教授(憲法学)は「日本を取り戻すためにやるべきことは、憲法改正ではなく、日米地位協定の抜本的改定だ」と指摘した。

 50年前の復帰当日、与儀公園では、復帰に抗議する人たちが集会を開いた。50年前も与儀公園に足を運んだという那覇市の女性(72)は「50年前も土砂降りだった。屈辱の雨だと思った」と振り返る。この50年をふまえ「めげてはいけない。自分たちの意思表示を続けなくては」と語った。

 平和行進に3回目の参加という東京都の会社員大山寛太さん(36)は「基地問題をより自分事として捉えることができた。自分の経験を周りに伝え、輪を広げていくことで基地撤去につながるのではないか」と語った。 (前森智香子まとめ)