【深掘り】無難な式典に際立つ溝…首相の「沖縄に寄り添う」が消えた背景は 復帰50年


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沖縄復帰50周年記念式典を終え、退席する岸田文雄首相(左)と玉城デニー沖縄県知事=15日午後3時7分、宜野湾市の沖縄コンベンションセンター(小川昌宏撮影)

 県内外から注目されてきた沖縄の日本復帰50年の節目は、政府と県の双方ともに米軍普天間飛行場の返還・移設問題に触れず、温和な姿勢に終始した。2012年の復帰40周年式典では、仲井真弘多知事(当時)は普天間の県外移設を要求、上原康助元沖縄開発庁長官は県内移設に回帰した当時の民主党政権を「沖縄蔑視」と厳しい言葉で非難した。過去の復帰式典との温度差は歴然で、沖縄と政府との溝はかえって強調された格好だ。

 ある自民党幹部は、40周年式典を引き合いに、「今回は無事に終わって良かった」と胸をなで下ろす。一方、県政与党の「オール沖縄」幹部は「全国に発信できるせっかくの機会だった。基地負担の軽減を求めるなら、今まで基地を押しつけられたことに触れ、他県の国民にも『応分の負担を求める』というような言葉は必要だった」と指摘した。

■「土産」に冷淡

 玉城知事は昨年の県議会11月定例会で、与党県議からの質問に答える形で、復帰式典に合わせて「建議・宣言」を出す意向を示し、沖縄の抱える課題の解決を要求する考えを述べていた。

 だが、玉城知事が取りまとめた「新たな建議書」は今月7日に公表、政府に提出したのは10日だった。発表前、県政関係者は「式典当日に発表すると、政府との対立姿勢が強まる」と述べていた。政府とすり合わせた上で、当日の発表を避け、双方ともに普天間への言及を避けたとの見方も上がる。

 一方、14~15日の日程で来県した岸田文雄首相は各地を視察したほか、経済人などと懇談した。米軍キャンプ瑞慶覧ロウワー・プラザ地区を返還前に日米で共同使用することを50周年の「お土産」としてアピールしたが、同地区は長らく遊休化が指摘されていた。「復帰50年の節目に『ただこれだけか』というのが正直な印象だ」(与党県議)と冷めた受け止めも広がる。

■空気の変化

 復帰から半世紀を経て、政界内での空気も変化しつつある。複数の沖縄選出議員は「沖縄への関心は年々薄れている」と危機感を口にする。沖縄関係予算の編成に当たる内閣府のある幹部も「沖縄戦を知る政治家がいなくなり、沖縄の事情への理解が得にくくなった」と嘆いた。

 内閣府によると、東京会場の式典では招待状を歴代の首相、官房長官、沖縄担当相に送った。しかし、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を巡って、翁長雄志前知事、玉城知事と対峙(たいじ)した安倍晋三元首相は式典に出席しなかったほか、河野太郎前沖縄担当相も会場に姿を現さなかった。第5次振計の策定に携わった野田佳彦氏、菅直人氏も参加を見送った。

 岸田首相も、これまで用いていた「沖縄に寄り添う」という表現を式辞には盛り込まなかった。節目の式典で言及しなかったことで、政権と沖縄への「距離感」があるとの指摘も出ている。
 (池田哲平、大嶺雅俊、安里洋輔、明真南斗)