仲井真、稲嶺元知事らも式典出席 復帰50年への思いとは


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 記念式典に出席した元知事や元国会議員、経済関係者らが、復帰50年の思いを語った。


 

(左から)稲嶺恵一元知事、仲井真 弘多元知事、古堅実吉氏

光と影の両方ある 稲嶺元知事

 「非常に複雑な気持ちはある。光と影両方あったわけだから」。式典会場を訪れた稲嶺恵一元知事(88)に日本復帰50年の節目の心境を聞くと、そう切り出した。2期務めた知事の任期中は、米軍基地問題の対応に追われた。「安全保障は国全体の問題。1県の問題ではないということを、県一丸となって周知徹底してほしい」と願う。子どもの貧困などの課題について「国に要請もし、自助努力もする。復帰50年を意識して、これを機会に飛躍発展を」と語った。
 (當山幸都)


 

経済発展まずまず 仲井真元知事

 仲井真弘多元知事(82)は、この50年で「沖縄は全面的に変わった。50年間、政府を含めて日本の皆さんが沖縄にシンパシーを感じ、よく面倒を見てくれたおかげだ」と評価した。ただ新型コロナウイルスの影響で県経済が打撃を受けことで、「まずまずの経済発展を果たしたが、コロナ禍もあり、もうしばらくは振興計画で支援を願いたい」と語った。基地問題に関しては「安全保障環境にもよるが、もちろん基地負担の過重な部分の整理縮小は必要だ」と述べた。
 (梅田正覚)


 

復帰、今も喜べず 古堅元衆院議員

 日本復帰前に人民党の立法院議員、復帰後は県議や共産党衆院議員を歴任した古堅実吉氏(92)は「50年前は復帰を喜ぶという態度になれない立場だった。それは今も変わらない」と話した。50年がたった今も米軍基地の集中は続く、最近では「核共有論」も取りざたされ「再び沖縄戦に通ずるような言動は許すことはできない」と憤る。「願いを実現するため、一歩でも前進する方向でこの50年を受け止め、考えていくことにしないといけない」と力を込めた。
 (當山幸都)


 

沖縄に甘える本土 嘉数元衆院議員

 元自民党衆院議員の嘉数知賢氏(80)は「50年はあっという間だった。やはり復帰してよかった」と振り返った。辺野古移設問題については、普天間飛行場の危険性除去のため「やるべき」とするが、沖縄にだけ負担を押しつける考え方は「一番頭にくる」という。「『沖縄を甘やかすな』と言われるのはとんでもなくて、本土が沖縄に甘えすぎている。沖縄も努力しないといけないが、国はもっと頑張らないといけない。それを問い直す必要はある」と強調した。
 (當山幸都)


 

新たなスタートに 石嶺県経済団体会議議長

 1972年は県経済団体会議の石嶺伝一郎議長(73)にとって経済人として始まりの年でもあった。同年4月に入社した琉球列島米国民政府出資の琉球電力公社は、5月15日に沖縄電力に変わった。「大きな転換期だった」と振り返る。県経済の50年間は道路などのインフラが整い、観光が主要産業に成長してきた。一方で「県民所得の県外格差などは50年たっても解決できていない課題だ。50周年は新たなスタートラインと位置づけたい」と話し、決意を新たにした。
 (中村優希)