【識者評論】天皇陛下の「お言葉」どう読むか? 引き継ぐ「象徴」の姿勢 仲地博・沖大名誉教授


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仲地博沖縄大名誉教授

 復帰の記念式典に天皇が出席されたのは今回で3回目だ。1972年は昭和天皇が、復帰20周年には上皇が、今回の50周年に現天皇が出席された。歴代天皇が式典で述べた「お言葉」にはそれぞれ印象深いところがある。昭和天皇は、復帰が「沖縄県民をはじめわが国民のたゆまぬ努力に基づく」ことに言及している。また「平和で豊かな沖縄県の建設と発展」に全国民の協力を求めた。

 上皇は「苦難の道を歩んできた沖縄県の人々のことを思う」と心境を述べ、「世界の平和と繁栄に寄与」を願った。

 今回の式典で天皇は「尊い命が失われた沖縄において、人々は『命(ぬち)どぅ宝』の思いを深められた」とし、さらに「沖縄には、今なおさまざまな課題が残されている」ことを指摘した。

 歴代天皇に共通するのは、日米両国の友好関係である。たしかにそれなくしては沖縄返還はなかったと思われるが、同時にアメリカの極東戦略に深くコミットする道でもあった。

 昭和天皇は主権者から象徴への変化を成し遂げた。しかし、昭和天皇の名において行われた戦争に対する県民の感情は複雑で、反日の丸、反君が代、反天皇の意識は根強かった。上皇は主権者としての体験を持たない生まれながらの象徴であった。ひめゆりの塔で火炎瓶を投げ付けられても沖縄に寄り添う姿勢を貫いた。世論調査に見ると天皇に対する県民の好感度は、平成の初めには5割強であったが平成の終わりには9割と飛躍した。退位の際の「お言葉」では、「象徴として私を受け入れてくれた国民に感謝」と述べた。それは沖縄で顕著であった。上皇は、沖縄のハンセン病患者を見舞い、戦没者の前に頭をたれて平和を祈り、琉歌を作った。象徴天皇制を完成させたのである。「今後若い世代を含め、広く国民の中に沖縄に対する理解がさらに深まることを希望する」と語った点だ。父を見て育った天皇の「お言葉」の中にそれを引き継ぐ姿勢を見ることができる。
 (行政法)