渡嘉敷島空襲の映像を公開 1945年3月、戦前の町並み知る資料にも 大分の市民団体


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1945年3月23日、渡嘉敷村が米軍機の機銃掃射を受ける映像の一場面(豊の国宇佐市塾提供)

 戦時中の映像などの資料を収集している大分県宇佐市の市民団体「豊の国宇佐市塾」は18日までに、太平洋戦争末期の沖縄戦直前の1945年3月23日、米軍が上陸準備のため慶良間諸島・渡嘉敷島(渡嘉敷村)を空襲する様子を収めた映像など計14本を報道陣に公開した。同団体の織田祐輔さん(35)が2013~21年に米国立公文書館から入手。21日に宇佐市で開く平和イベントで一般公開する。

 渡嘉敷島の映像は、米軍機が村中心部に機銃掃射や爆撃を加える様子。村役場や学校など主な建物は空襲で焼損し、沖縄戦前の映像は資料価値が高いという。米軍は空襲3日後、慶良間諸島に上陸し地上戦に。渡嘉敷島では住民330人の「集団自決」も起きた。

 このほか、45年8月9日の長崎原爆投下に先立つ7月29日、爆心地から北に約1キロ離れた三菱長崎兵器製作所大橋工場が空襲を受けた際の映像も公開。原爆で壊滅する前の工場を収めた映像は珍しいという。

 神戸、名古屋の両市街地への夜間空襲や、宮崎県沖で空襲を受け爆発する日本の軍艦、沖縄本島近海での特攻機との空戦などを米側が撮影した映像も公開された。青森県八戸市を走る東北本線の貨物列車に対する機銃掃射の映像もあった。

 織田さんは、渡嘉敷島や長崎の映像について「焼け野原になった地域の戦前の町並みを知る手がかりにもなる」と強調。「日本が最後に経験した戦争を知り、未来を考える材料にしてほしい」と話した。
(共同通信)