沖縄の無国籍児問題、救われた多くの女性 平田正代さんを悼む


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平田 正代さん

 平田正代さんの取り組みで特筆されるのは、沖縄の「無国籍児」の問題を発信したことだ。

 1981年に発効した国連の女子差別撤廃条約を批准するに当たり日本が解決すべきことの一つに国籍法問題があった。

 当時の日本は、生まれた子どもは父親の国籍に入る「父系血統主義」だった。一方、米国は出生した国の国籍を付与する「出生地主義」だった。

 駐留米軍人・軍属と、沖縄の女性との間に生まれた子どもは、両国の制度のはざまでどちらの国籍も得られないことが問題となっていた。

 83年に政府が聴聞会を開いた際、当時国際福祉相談所長だった島本幸子さんとケースワーカーの平田さんが出席して実態を報告した。

 国籍法が改正され、子どもが母親の国籍に入れるようになった。無国籍児が救済できたのは彼女の頑張りも大きかった。

 97年、東門美津子副知事(当時)を団長とした女性訪米団に私と平田さんも参加した。平田さんは、夫が米国に戻り除隊後、沖縄に残された妻子が夫の居住先を追跡できない問題を指摘し「日米政府は個人の問題としているが、彼らは軍人として沖縄に来たのであり、解決の方法を見いだすべきだ」と訴えた。

 困難にぶつかる女性を支援するため、あらゆる法律を駆使した。いろんな仕事をしたがそれをひけらかすことはなかった。「特別なことはしていない。給料をもらい、しなければいけない仕事をしただけだ」と語る控えめな姿勢が印象に残る。

 彼女の存在で助かった女性は多かったと思う。彼女の働きを知り、今も続く問題に対応する人が出てきてほしい。
 (談、強姦救援センター・沖縄代表)