「天国でお母さんに抱っこされてね」平和の礎に追加刻銘 願い続けた遺族の思い 沖縄戦77年


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青空の下、設置される「平和の礎」に新たに追加された刻銘板=20日午前、糸満市摩文仁(小川昌宏撮影)

 戦後77年がたつ今年も、平和の礎に新たな刻銘板が設置された。追加刻銘者の遺族らは「生きた証しを刻むことができた」と感慨にひたった。

 渡久地見江子さん(76)=沖縄市=は、父知念正徳さん(故人)とその前妻のタケさんの間に生まれた三男・知念正春さんの追加刻銘をかなえた。タケさん、次男進栄さんと共に3人が旧満州で亡くなったが、正春さんだけ刻銘されていなかった。「どうしてこの子だけが刻銘されていないのか。一緒に過ごしてもらいたい」と感じ、刻銘を申請した。「生きていたことが認められた。(先に刻銘されていた)お母さんに抱っこされてほしい」と願う。

 具志堅哲さん(69)と妻のムツ子さん(58)=宜野湾市=は哲さんの兄清さんの刻銘の申請をした。清さんは8人きょうだいの2番目。疎開先の鹿児島県で栄養失調になり、幼くして亡くなった。戦後生まれの哲さんは会ったことがなく、母親は清さんのことをあまり話さなかった。ムツ子さんは「(清さんが)いたということをしっかり心に刻まないといけない」と話した。

 島袋マツさん=名護市出身=の孫、島袋哲一さん(79)は「普通の死ではなく、戦争があったから亡くなったのが、はっきりして良かった」と語った。

 マツさんは戦前は元気だったが、戦争が始まると食事を取らなくなったという。「不安だったんだと思う。(刻銘で)おばあさんの悔しさを晴らすことができたと思う」と万感の思いを込めた。

(稲福政俊まとめ)