米兵相手のバー街でドル拾い 森根昇さん(6)捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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1940年代後半、「チャイナ部隊」が駐屯していた一帯=うるま市与那城饒辺

 与那城村(現うるま市与那城)の薮地島で米軍に捕らわれ、前原地区の収容所を経て石川市で暮らしていた森根昇さん(81)=うるま市=は小学校就学前に屋慶名に戻ってきます。

 1940年代後半、森根さんが与那城小学校低学年の頃、家の近くに中国人の部隊が駐屯していました。場所は現在の与勝第二中学校の一帯で「チャイナ部隊」の名で知られています。森根さんは当時、「シナ人部隊」と呼んでいました。

 チャイナ部隊は米軍が保有する余剰物資を中国に運び出す業務に従事していました。森根さんの父、廣生さんは部隊内で働いていました。

 「屋慶名ではリーダー格だった父は部隊内で従業員の班長をしていました。父は時々、小さなドラム缶に残飯を持ってきました。中華料理のようなもので、とても助かりました」

 周辺住民の中には、部隊内の物資をかすめ取る「戦果あぎやー」に従事する人もいました。

 与勝半島にはホワイトビーチをはじめ米軍基地が建設されます。米兵相手の飲食店も営業するようになりました。その頃の思い出があります。

 「米兵相手のバー街に朝早く行くとドルが地面に落ちていました。子どもたちはそれを拾ったんです」

 米兵が落としたお金はお小遣いになりました。