朝鮮人軍夫が重労働 森松長孝さん(3)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
八重岳の入り口。日本軍駐屯地で朝鮮人の「軍夫」が働き、「慰安所」が置かれた

 1944年夏以降、森松長孝さん(88)=沖縄市=が暮らしていた本部町大嘉陽の真部山や八重岳に日本軍の独立混成第44旅団第2歩兵隊(国頭支隊、通称宇土部隊)の駐屯が進みます。

 「軍夫」として沖縄に来た朝鮮の人々も陣地構築作業に追われます。森松さんは重労働に苦しむ朝鮮人の姿を覚えています。

 「朝鮮の人たちは日本兵と着ているものが全然違っていました。相当働かされていて、かわいそうなくらいの扱われようでした。なまりがあるものの日本語を話せました。よく遊んだのを覚えています」

 朝鮮の人たちはいつも腹をすかせていたといい、森松さんはイモを持っていったことを覚えています。

 日本軍は「慰安婦」も連れてきました。八重岳の入り口の近くで接収した民家を使い「慰安所」を設けました。小学生だった森松さんは「慰安所」がどのような施設なのか知りませんでした。「家の前に日本兵が並んでいるのを見たことがあります」と森松さんは語ります。

 10・10空襲の後、大嘉陽の住民は避難所づくりを急ぎます。養子先の大叔父は岩場に据えた木材に土をかぶせ、さらにクバの葉で覆い避難所としました。

 45年4月、沖縄本島中部西海岸に上陸した米軍は本部半島に進攻します。