32軍壕、住民犠牲を学ぶ 司令官孫の牛島さん、活用訴え講演


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日本軍第32軍の司令部壕と作戦を解説し、沖縄戦の実相を学ぶ場として活用するよう呼び掛ける牛島貞満さん=26日、那覇市首里石嶺町の県総合福祉センター

 首里城地下の日本軍第32軍司令部壕を沖縄戦継承の場にしようと、保存・公開を求める会(瀬名波栄喜会長)は26日、那覇市首里石嶺町の県総合福祉センターで学習会を開き、約80人が参加した。32軍の牛島満司令官の孫・貞満さんが講師を務めた。牛島さんは32軍の作戦が住民に犠牲を強いたことを指摘した。その上で「沖縄戦の実相を伝えるために32軍壕は保存・公開されなければならない」と訴えた。

 牛島さんは1945年の米軍調査報告と93、94年の県調査報告、自身の調査などを基に第1~5坑道、全長約1050メートルの32軍壕の構造を写真や図面で解説した。

 32軍の目的が住民を守ることではなく、日本本土決戦を準備するための時間稼ぎだったとし、45年5月22日の南部撤退命令と6月19日の敢闘命令が住民の犠牲を増大させたことを沖縄戦体験者の証言や、6月に入ってからの犠牲者数を挙げて指摘。

「南部に撤退せず首里で戦いが終わっていれば、住民の犠牲は半分に減っていたかもしれない」とした。

 牛島さんは「戦後の日本は戦前を反省してきただろうか」と疑問視した。「戦争を起こすのは人、止めるのも人」と述べ、住民が犠牲になった沖縄戦を学ぶためにも、その起点となった32軍壕を保存・公開し、活用する意義を訴えた。
 (安里周悟)