「二度と戦場にしない」胸に 基地と向き合い続け 伊波洋一氏<駆ける・2022参院選沖縄選挙区>上


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
車上でのスポット演説を終え、選挙カーのはしごを下りる伊波洋一氏=1日午後、嘉手納町兼久(ジャン松元撮影)

 沖縄の日本復帰から50年の節目に当たる今参院選で、現職の伊波洋一氏が第一声の場所に選んだのは、「祖国復帰闘争碑」がある国頭村の辺戸岬だった。

 「復帰闘争で目指した基地のない沖縄ではなく、基地を押しつけられ続けている沖縄が依然としてある」。琉球政府が1971年の「屋良建議書」で日本政府に突き付けた、基地のない平和な島の実現を訴え掛けた。

 自身も戦後の沖縄を体現するような人生を歩んだ。生まれは沖縄戦で激戦地となった宜野湾市嘉数。戦禍で親族6人が亡くなり、母は命を絶とうと手りゅう弾を使い片目の視力を失った。母子家庭で、病気がちな母の世話をしながら育った。

 現在で言う「ヤングケアラー」だったが、生真面目な性格からか、そうした過去を前面に押し出そうとはしない。

 6年前の選挙戦では、「もっと笑顔を」という注文が支援者から寄せられた。今回は「伊波洋一は、笑わない?」と題した本人動画をあえて配信するなど、ありのままを知ってもらおうと工夫を凝らす。

 「自分を表現するのが上手でなく、だから伊波洋一はあまり笑わないと言われるのかと思う。でも笑わないときは、一生懸命沖縄のことを考えているときです」。妻の成子氏が笑いながら解説する。

 琉球大学在学時、アルバイトをして学費や生活費を稼いだ。公約に奨学金の拡充や返済の減免、高等教育無償化などを盛り込み、教育格差の是正を訴えるのも、自身の経験が大きい。

 宜野湾市長2期、県議2期、参院議員1期と歩んだ政治キャリアは、米軍基地問題に向き合い続けた日々でもあった。市長在職中に米軍ヘリの沖縄国際大学への墜落事故が発生。米軍普天間飛行場は返還合意から四半世紀がたってなお、宜野湾市のど真ん中にあり、米軍機に絡む事故は繰り返されている。

 だからこそ普天間飛行場の閉鎖撤去を求め、日米両政府が返還条件とする名護市辺野古の新基地建設も、軟弱地盤の問題などから不可能として、反対を訴え続ける。通底するのは「二度と沖縄を戦場にしない」との思いだ。

 「沖縄(ウチナー)の声を国会へ!」を合言葉に、2期目を懸け笑顔でラストスパートを駆ける。
 (’22参院選取材班)


 10日投開票の参院選は終盤に突入した。沖縄選挙区で事実上の一騎打ちを繰り広げる伊波洋一氏(70)と、古謝玄太氏(38)の人柄や選挙運動の様子を担当記者が描く。