ブラジルでの日系人強制退去の歴史に沖縄戦を重ね 史実の掘り起こし続ける 県出身の宮城さん


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サントス事件の証言をまとめた記録史などを前に話す宮城あきらさん=6月、ブラジル・サンパウロ

 ブラジル・サンパウロ州サントスで1943年、第2次大戦で連合国側についたブラジル当局から「敵性外国人」とみなされた日本人や日系人が突然、家を立ち退かされた。「サントス事件」と呼ばれ、この史実を掘り起こす活動を続ける男性がいる。沖縄県出身の宮城あきらさん(84)。自身も沖縄戦で家や家族を失った経験から、日系人らの苦難を「後世に伝えたい」と話す。

謝罪なし

 日系人らの強制立ち退き事件は米国やカナダなどでも起き、多くが収容所に送られた。後に政府が過ちを認め、謝罪・補償している。サントスでは約6500人が、収容所や内陸の日系人居住地などに送られた。家族が離散したり心を病んだりした人も。戦後は多くが家財を失い裸一貫から再出発を余儀なくされた。全容は知られておらず、米国などのように政府から謝罪や補償もない。

 宮城さんは、サンパウロに移民として渡った叔母を90年代半ばに訪ね、沖縄県人会の移民史制作を手がけたことで異国での同胞の苦難を知り、「何も知らなかった」と衝撃を受けた。これをきっかけにブラジルに拠点を移し、移民の歴史の調査を続けている。

 2016年に映画監督の松林要樹さん(43)がサントスで強制退去させられた585世帯の名簿を発見。6割が沖縄県出身者だった。以来、宮城さんは名簿を基に当事者らに取材し移民史研究の同人誌「群星」にまとめた。取材した関係者は17家族に上る。

沖縄戦

 活動には宮城さん自身の体験も深く関係する。沖縄県本部町で6歳だった1944年、空襲で自宅を失った。翌年に米軍が沖縄に上陸。祖父母や母らと山に逃げたが、機銃掃射に遭い祖母が命を落とした。

 母は配られていた手りゅう弾を使い家族で自決しようとした。車座になっていると、祖父が「はやまてぃーならんどう(早まってはいけない)」と繰り返した。子どもの命は残すべきだといさめ、信管を抜くのをやめさせた。その後は収容所でひもじい生活も送ったが、祖父が母にかけた「命くとぅば(命の言葉)」に生かされたと考えている。

 宮城さんはサントス事件で「暗黒の中に放り出された」日系人らの歴史を、沖縄戦で山野を逃げ惑った体験と重ねる。政府に謝罪を求める活動も続ける。「埋もれた歴史に光を当てる。生きているうちにやり遂げたい」と力を込めた。
(サンパウロ共同=中川千歳)