ウクライナ戦争以降、日本でも国防強化がうたわれる。ただし、この「戦争ができる国」化は、2000年以降に有事法制・秘密保護法制の新設・強化や集団的自衛権の容認、武器輸出三原則の事実上の撤廃などによって整備されてきた法制度の延長線上である。
それを担ってきたのが安倍晋三元首相であろう。「国」を強くアピールし、批判する者を排除する空気を醸成した。こうした世情の形成を後押ししたのがマスメディアであったことは否定できまい。背景に官邸の巧みな情報コントロールがあったとしてもである。
「国家による葬儀」として悼むということは、安倍元首相が目指した、国を前面に押し出した国造りの完成形という位置付けにすら見える。アンケートでは「責任を取っていない不祥事もある中で、称賛一辺倒になりがちな国葬をすることに違和感」との声が見られた。表現の自由を制約し、民主主義の土台を揺るがした安倍元首相の国葬を拙速に実施することで、忖度(そんたく)も含め政策検証の行いづらさが生じかねないという危機感の表れだろう。実際すでに批判の封じ込めが起きつつある。
一方、筆者が学生を対象に行った意識調査では回答者の半数が国葬に賛成だった。今回の結果では反対が多いが、賛成が多いとみられる若者層の回答が極端に少ない点は留意する必要がある。
それだけに事実に基づく丁寧な検証とともに、社会における批判の自由を確保するためにも、自由闊達(かったつ)な言論空間を新聞メディアには守ってほしい。 (言論法)