対馬丸撃沈から78年を経ても提供される遺影 新たに3人追加、計404人に


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新たに掲示された3人の遺影=19日、那覇市若狭の対馬丸記念館

 沖縄県那覇市若狭の対馬丸記念館は19日、78年前の対馬丸の撃沈で亡くなった犠牲者3人の遺影を新たに掲示した。追加したのは、豊見城市の大田セツ子さん(50)と有孝さん(5)親子、屋我地国民学校に通っていた眞喜志健一さん(7)の遺影で、いずれも当時の年齢。3人の親戚が遺影を見つけ、同館に提供した。今回の追加で遺影は計404人となった。

 3人の遺影は学芸員の堀切香鈴さん(24)が手袋を付けて丁寧に壁に取り付けた。追加した遺影の周りには401人の子どもらの遺影が壁一面に並ぶ。堀切さんによると、開館当初は犠牲者の親やきょうだいなど、近しい遺族からの遺影提供が多かった。高齢化や遺族の死去に伴い直接犠牲者を知る家族が少なくなり、近年は遠縁の親族からの提供が増えているという。今回の遺影も犠牲者と会ったことがない親族からの提供で、3人の人柄や対馬丸に乗船した経緯など詳細は分かっていない。

 対馬丸の撃沈による犠牲者は計1484人(氏名判別者数)。記念館に掲示する遺影は一部にとどまり、写真がない犠牲者もいまだ多い。

 堀切さんは「遺影の訴える力は大きい。文字だけでは伝わりにくい犠牲者の生きた証しを実感できる。撃沈から78年を経ても新たな遺影の提供があることに感謝している」と話す。

(赤嶺玲子)