復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉8月31日「瀬長島に核、化学兵器も」―琉球新報アーカイブから―


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年8月31日の琉球新報1面トップは、「〝瀬長島に核、化学兵器も〟/社党県本部/黄、赤の施設判明/基地立ち入りを要求」との見出しで、社会党県本部の調査団による報告内容を伝えている。隣接記事には公明党の在日米軍基地総点検の中間報告を伝えていて「南ベに毒ガス輸送/公明党、基地総点検を発表」との見出しで、広島県呉市の弾薬庫から南ベトナムに致死性化学弾が輸送されていたと発表内容を掲載している。

 「P3機、出入り活発/新たな軍事訓練も/移駐への前ぶれか/嘉手納基地」との見出しで、嘉手納基地での新たな動向を写真付きで紹介している。

 このほか、「予算案を可決、成立/県会定例議会終わる」との見出しで、初の県予算を賛成多数で可決した様子を伝えている。

 

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。