分断を越える術学びたい 故翁長前知事がゴルバチョフ氏の沖縄招待に込めた思い 訃報に県内から惜しむ声


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識名園での歓迎の宴で県民と笑顔で交流するゴルバチョフ元大統領=2003年11月

 東西冷戦を終結に導き、沖縄にも3度訪れるなど、沖縄と交流の深かったミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領が30日、死去した。対立を乗り越えた功績や平和への思いに共感を寄せた人たちから惜しむ声が上がった。

 ゴルバチョフ氏の初来沖は2001年。那覇市長の故・翁長雄志前知事が招待した。妻の樹子さん(66)は、ゴルバチョフ氏が困難な中で改革を進めたことに敬意を表し「多くのヒントを残した。沖縄も知恵を寄せ合い、思いを一つにしていかないといけない」と前を向く。

 招待について翁長さんから相談を受けた当時那覇市長公室の室長だった宮里千里さん(72)は「翁長さんは保革の分断を乗り越える術を学びたい、という思いがあったのだろう」と話す。冷戦構造の中で、沖縄は政治も生活も翻弄(ほんろう)された。2人はキューバ危機当時、小学校低学年。前線基地にされる危機感を肌で感じていた。宮里さんは「ゴルバチョフ氏の訪問は沖縄にとっても意味が大きかった」と振り返る。

 市制80周年の講演会を開いた際には会場の市民会館に入りきれない大勢の市民が周囲にあふれた。

 市は03年にゴルバチョフ氏の色紙の写しを刻んだ記念碑を市役所敷地に建立した。

 城間幹子市長は31日、活動に敬意を示しつつ「ゴルバチョフ氏の故郷では大きな争いが起きている。世界中が同じ地球人として、協力して問題を解決していかなければならない。私たちは思いを引き継いでいく必要がある」と述べた。
 (中村万里子まとめ)