総務省「デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会」が8月5日、「デジタル時代における放送の将来像と制度の在り方に関する取りまとめ」を発表した(6月に中間取りまとめが出されていた)。放送制度の骨格は放送法で規定されており、2010年の大改正で大きくデジタルシフトしているが、今回の報告書はそれをステップアップさせ放送を通信の一部に完全に取り込んだかたちの、いわばデジタルコミュニケーション法を構想するかにみえるものだ。いったい、日本の放送はどうなるのか、公共的なメディアは存在しうるのか考えてみたい。
居心地悪い状況
放送を取り巻く環境が激変していることは言うまでもない。テレビ受像機でテレビ番組を視聴している者の方が少数派で、Amazonプライム・ビデオやNetflixといったビデオ・オンデマンドサービスをはじめ、無料のユーチューブといった動画配信サービスが日常生活の中心を占めている。ビジネスもそれに敏感で、ついに昨21年には、マス4媒体合計の広告費がインターネットのそれを下回ってしまった。
また、従来指摘されていることだが、遠隔地でのテレビ視聴環境を整えるためのコストが放送局の大きな負担になっており、人口減少が進むなか、物理的に電波を届けられなくなる状況が見え隠れしている。わかりやすいたとえとして、3%の視聴者のために30%の放送コストをかけているともいわれている。そこで報告書では、ブロードバンドで各家庭をつなぐことで、放送のための中継局(放送塔)を立てる必要がなくなるとの選択肢を示した。
きわめて真っ当な提案ではある。しかし、そうしたインフラ整備をだれがして、その利用費用をだれが負担するのか、さらにいえば、番組をネットで視聴するための統一的なプラットフォームをどのように設定し、たとえば各自のスマートフォンに実装するのだろうか。もし国民みんなが同じアプリをインストールし、そのインフラを国家予算で賄うとなれば、いわば官製プラットフォーム上での表現活動という、相当に居心地が悪い状況が現出することになる。
揺らぐ放送の自由
さらにもっと大きな課題が放送の自由の存続だ。従来、自由の構成要素として、独立性、多様性、地域性が掲げられてきた。ここ30年で独立性については、行政の放送現場への介入が進んで、国連の人権報告書でも独立性のなさが指摘されるまでの状況になっている。
具体的には、個別番組への行政指導等による物言いが頻発したり、放送法の性格を一方的に政府が解釈変更する事態になっている。もともと立法者である国会も政府も、放送法が定める政治的公平さなどは倫理規範と位置付けて、放送局が自主的に守るべき基準としてきた。しかし近年は、法条文を判断基準として所轄官庁である総務省が違法判断をし、電波を止めることができるとする。まさに、政府のコントロールの下での放送事業ということだ。
そして多様性を守る方策の一つとして、マスメディア集中排除原則を謳(うた)い、当該地域での新聞・テレビ・ラジオの兼業を禁じたり、同業他社との株の持ち合いや役員の兼業などを制限したりしてきた。ただし昨今の経営の厳しさに対応して、認定放送持株会社制と呼ばれるグループ企業化や、隣接県との協業化を許容してきている。今回はさらに、テレビネットワーク間の業務・経営上の連携を一層幅広に認める方向性を示した。
具体的には、東京キー局を中核に据えたネットワーク系列間の統合が可能となり、形として地方局の名称は残ったとしても流れる番組は東京制作のものだったり、県域ごとのニュースではなく、より広域圏のくくりでの番組が放送されることが想定される。それが多様性や地域性にどのような影響を与えるかは明白だ。
いまでさえ、東京の影響でローカルの独自色が出しづらい状況があるからだ。それは、沖縄の基地関連の放送をイメージするとより実感がしやすい。東京制作の政府意向の報道がそのまま流されることが、県民の意識やニーズにフィットするのかということだ。
どうなる受信料
さらに、NHKのネット本格参入の仕方も大きな課題だ。現在のNHKはテレビ・ラジオの放送を「本来業務」と位置づけ、ネット上での発信情報は補完的な業務とされて法の制約を受けている。何でも流せるわけではないのであるが実態としては、「NHKニュース・防災アプリ」に代表されるように、ネットオリジナルのニュースが数多くネット上で発信されている。なかには、完全なテキストニュース(文字だけの記事で、映像が全くないもの)も少なくなく、こうなると放送局なのか新聞社なのかわからないのが実態である。
もしネット上で自由に情報発信できるようになれば、現在の受信料の要件も変わってこざるを得ない。BS放送のように付加料金を徴収して、有料会員方式にするのか(いわゆるサブスク方式がとられるのであろう)、ネット回線とつながっている者すべてから新受信料を徴収するのか、さらにいえば全家庭(国民)から強制徴収するのかなど、これまた難題が横たわっている。そしてこれは、そもそもネット上に「公共メディア」が必要なのかという大命題とも直結している。
従来、公共的なメディアによってもたらせる知識や情報は、民主主義社会の必需品だと考えられ、だからこそさまざまな特権的な待遇も与えられてきた。税制上の優遇措置(例えば新聞に対する消費税の軽減税率や定価販売など)や取材や報道上の便宜供与(記者クラブあての情報提供など)がこれにあたる。ではネット上でも、同じような公共的なメディアが存在し得て、民主主義の必要経費として、私たちはどのようなサポートをすることが求められているのか。
報告書には、バラ色のIT社会における次世代放送が描かれているが、それはいま政府・総務省が無理やり進めるデジタル化と二重写しになって仕方がない。そのうち、マイナンバーカード取得者はNHK視聴料が割り引かれますなどと、本気で言い出しかねないからだ。公共メディアを私たち自身がどうイメージするか、とりわけ従来はその代表だったNHKを今後、どう育てていくのかの岐路にある。ツイッターに代表されるネットだけの選挙戦になったのでは、相当に危ういことを今回の県知事選も示している。
(専修大学教授・言論法)
本連載の過去記事は本紙ウェブサイトや『愚かな風』『見張塔からずっと』(いずれも田畑書店)で読めます。