名護市、「V字案」合意までの経緯を記録した公文書なし「保有したことがない」 辺野古新基地巡る2006年の方針転換


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名護市役所(資料写真)

 【辺野古問題取材班】米軍普天間飛行場移設に伴う沖縄県名護市辺野古の新基地建設で、市が2006年、従来の方針を転換してV字形に2本の滑走路を設ける現行計画を国と合意した経緯について、一切の公文書を残していないことが27日までに分かった。識者は「記録がないと証拠がないことになり、弱みになってしまう」と指摘した。

 名護市情報公開・個人情報保護審査会が今年8月、市の意思形成に係ることや、政府機関側と交わした連絡・話し合いなどの一切の記録を「保有したことがない」とする市の決定は妥当との結論を出し、ホームページなどで公表した。市は今年1月、島袋吉和氏が初当選した06年1月から国と合意した4月までの記録の開示請求を県外報道機関から受けていた。

 移設計画を巡っては、辺野古沖合2・2キロに2千メートルの滑走路を備えた施設の建設が決まっていたが、反対運動などで作業は難航。05年には日米がシュワブの沿岸部にL字形の代替施設を建設する案で合意したが、県や市は難色を示していた。

 06年に当選した島袋氏は沿岸案を「受け入れられない」としながらも計画修正に柔軟な姿勢をとっていた。防衛庁と協議を重ねた結果、L字形案を受け入れることで合意。滑走路が2本のV字形に設置されることも発表した。

 島袋氏と額賀福志郎防衛庁長官が合意した当日の交渉に、市助役として同席した末松文信県議は「メモを残すよう事務方への指示はなかったはずだ。ただ防衛庁側にはメモが残っている可能性がある」と証言する。

(長嶺晃太朗)


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