ひろゆきさんの辺野古訪問は、ネット番組の収録が目的とされており、最終的な評価は番組を見てからにしたい。座り込み現場の看板を「連続日数」だと誤認したのだろうが、指摘が入ると「座り込みの定義」に論点をずらした。被害者やマイノリティーなど、声を上げる人々の心をくじく「トーンポリシング」の典型例だ。
内閣府の若者の意識調査によると「社会をよりよくするため、社会問題の解決に関与したい」という設問で、日本は他国より否定的な回答が多い。「社会は変えられず、変えるためのコミットメントもしない」という空気感が、声を上げる人々をばかにする土壌につながっている。
ネット上には「感情を表したら負け」という空気感がある。辺野古の基地建設で、県民投票で民意が示されても国が土砂投入を続けている欺瞞(ぎまん)には黙ったまま、抗議行動の看板の日数の表記を指摘するのは「突っ込みどころ」がおかしい。
座り込みは、基地建設を止める手段であってそれ自体は目的ではない。座り込んで抗議する人たちの属性がどうであれ、埋め立て工事の正当性とは別の問題だ。
基地問題は基地が沖縄に押しつけられていることが問題の本質だ。ひろゆきさんの投稿に対するネット上の反応で、それが理解されていないことが可視化されてぞっとした。そこには差別意識、無理解、無知があるだろう。
対話が成り立つかは分からないが、それでも言うべきことを言い続けるしかないと思う。