【識者談話】ひろゆきさん辺野古投稿 民意無視するいびつな構造 熊本博之・明星大教授


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 ひろゆき氏は安全保障や沖縄のことを考えていたわけでなく、反応が起きそうな場所で反応が起きそうなコメントをしただけだと思う。心をかき乱された人も多かったが、反論の中で辺野古や沖縄のことを学ぼうという声も上がった。

 座り込みは身体で反対の意思を示す行為だ。現場で座り込む人々は、反対の意志を持つ人々を代表して行動していることになる。身体がそこにない人たちも座り込みに心を寄せることで、行動に参加していることになる。ある瞬間に現場に人がいなくとも、行動が打ち切られたということにはならない。

 辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前の3千日余りの表示は、2014年のゲート前での座り込み開始を起点としているが、辺野古での移設反対の意思表示は1997年1月の辺野古区民らによる「命を守る会」の結成までさかのぼる。基地移設を条件付きで容認する立場の辺野古区民は、抗議テントの撤去を要請したり抗議行動に苦言を呈したりすることはあるが、抗議そのものを否定してはいない。基地建設は内心では嫌だし、望ましいことではないからだ。

 沖縄が反対の意思を示しても政府に無視されるが、意思を示さなければ認めたことになるといういびつな構造にある。その中で、座り込みによる抗議行動は生まれ、続いてきた。議会制民主主義のもとではマジョリティーの本土側が動かなければ構造は変わらない。抗議行動を冷笑して解決することではない。

(地域社会学)