伊敷正俊さん(88)(元糸満町長運転手)、米兵事件、相次いだ無罪 理不尽な時代「伝えたい」


社会
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旧糸満町役所で運転手として勤務していた伊敷正俊さん=1970年ごろ(伊敷さん提供)

 1970年9月18日、コザ騒動の遠因となった糸満女性れき殺事件が起こった。飲酒した米兵のスピード超過が事件の要因となったが、同年12月10、11の両日に開かれた軍法会議で加害米兵に無罪が言い渡され、県民を憤らせた。伊敷喜蔵・旧糸満町長の運転手を務めていた伊敷正俊さん(88)=糸満市=は判決が言い渡された12月11日、軍法会議に出席する伊敷町長と宮城好太郎助役を送り届けた。伊敷さんはこのほど琉球新報の取材に対し、当時のことを初めて証言した。

 70年、糸満女性れき殺事件

無罪判決が出た翌日の紙面(画像を一部処理しています)

 11日は軍法会議に行くとは知らされていなかった。午前7時前から迎えのために待機した。町長と助役が早朝から一緒に行動することはこれまでなく、違和感を持ったという。軍法会議が行われた那覇空軍司令部まで送り届け、駐車場で待機した。

 午前8時ごろ、女性と米兵とみられる男性が出て来た。笑顔で肩を組んでおり「いいことでもあったのかと思った」と伊敷さんは振り返る。約10分後、伊敷町長と宮城助役が車に戻って来ると「男と女が出て来たのを見たか?無罪だった」とだけ話し、その時に裁判があったことを知った。町長と助役は表情を変えないまま、帰りの車内は終始無言だったという。

 伊敷さんは被害者と言葉を交わしたことはないが顔見知りだった。事件の1週間前にも会った。事件が起こった道路も毎日使う道だった。カーブになっているが広い道路で「普通の人なら事故は起こさない」ような場所だったという。

 判決直後の現場に居合わせた伊敷さんは「またか。こんなもんだろう」と諦め混じりの思いを抱いたという。米軍の事件事故は多発し「ほとんど無罪になっていた」と振り返る。

 「今も厳しい時代がきている」とウクライナ情勢を憂う。戦後の重要な節目に居合わせた伊敷さんは世界平和を願い「自分も年をとってきた。後に伝えておきたい」との思いを強くしている。
 (金盛文香)


<用語> 糸満女性れき殺事件
 1970年9月18日、糸満町(現糸満市)で54歳の女性が米兵の運転する車にはねられ死亡した事件。米兵は酒を飲み、速度超過で車を蛇行して走らせていた。同年12月10日、11日に軍法会議が開かれ、米兵は無罪となった。判決への反発が広まり、16日に裁判のやり直しを求める県民大会が開かれた。同年12月20日に起こった「コザ騒動」の遠因となった。