先祖は琉球王朝時代の花火職人…子孫の情報提供を呼び掛け「つながることで姿を鮮明に」 14日から復元公演


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自身が調べた祖先の資料を手に、情報提供を呼びかける屋比久伸也さん=8日、那覇市

 琉球王国時代の花火職人を先祖に持ち、鍼灸(しんきゅう)院を営む屋比久伸也さん(46)=那覇市=が、花火職人の子孫の情報提供を呼びかけている。浦添市の国立劇場おきなわが14日から開催する公演「朝薫五番とからくり花火」で、約150年前のからくり花火を復元上演するのを前に、「子孫がつながり合うことで、琉球王国時代の花火職人の姿がより鮮明に浮かび上がることに期待したい」と話している。

 花火(火花)は琉球王国時代、主に冊封の宴で上演され、中国から学んだ花火製造の技術を伝え受けた子孫らが、花火作りを命じられたとされる。1866年の琉球王国最後の冊封「尚泰王の冊封」で行われた火花(花火)の記録「火花方日記」は、彩色画と共に、安里筑登之(ちくどぅん)親雲上(ぺーちん)と渡嘉敷筑登之、屋比久さんの祖先の屋比久筑登之が制作した5種の「からくり花火」についても記されている。

 国立劇場おきなわは2019年、同劇場主催公演で初めてからくり花火を復元し、20年に同劇場監修で「『火花方日記』の研究」(麻生伸一・茂木仁史編集、榕樹書林)を出した。

 屋比久さんは幼い頃、祖父の嘉英さんに「自分たちは『ヒハナジの屋比久』と呼ばれ、花火で財をなした」と教えられた。自身でも10年ほど前から戸籍謄本や、本家にある戦後作られた家譜、厨子甕(ずしがめ)に書された文字などを調べ、祖先について知っていたが、核となる情報が見つけられずにいた。そのような時、からくり花火復元に取り組む国立劇場おきなわの様子を取材したテレビ番組を見て、同書を知った。

 屋比久さんは「カメラもない時代、花火の製造技術を継承するために、当時の人々は必死で設計図を描くなどしていたはず。そんな祖先の姿を思うと、今をどう生きるかというヒントがもらえる気がする」と話した。情報提供は屋比久さん、電話098(863)5877。 (藤村謙吾)