【識者談話】「基地の島」脱却へ期待も 天皇皇后両陛下の来県 我部政明氏(沖縄対外問題研究会代表)


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我部 政明氏

 戦後77年間で天皇が昭和、平成、令和と3代に渡る中で、沖縄の人々の天皇に対するイメージは、世代間で違いがあるものの、時代とともに変化している。これは日本全国と同じ潮流だろう。しかし、沖縄では沖縄戦という本土にはない歴史の記憶が存在し、天皇と戦争をどのような関係性で捉えるかということが常につきまとう。米軍基地の存在と天皇の関係についても議論がある。これらの点から、天皇の存在を難しく考えず、自然に受け入れている本土とは異なり、沖縄の人々にはいくつかのハードルがあると言える。

 沖縄が日本に返還された時期に当たるおよそ50年前、昭和天皇は捨て石の沖縄戦を承認し、米国の沖縄統治を推奨したとして否定的に捉えられていた。現在でも、そうした昭和天皇の記憶は沖縄の中で根強い。

 平成の天皇(上皇さま)の即位後、沖縄での天皇に対するイメージは和らいできたようだ。皇太子時代に度々沖縄に足を運んだこと、国境を越えて先の大戦で亡くなった人々に対する鎮魂の旅を続けたことなどが、昭和天皇とは違ったイメージを作り出したと思われる。

 沖縄での天皇のイメージが変化する中で、現在の天皇は5月に開かれた復帰50年式典に寄せたオンラインメッセージで「命どぅ宝」という言葉を引用した。沖縄の人々の平和を志向する表現が天皇陛下自身の口から出たことは、平成の天皇の路線を継承したいという志の表れだと理解されたと思う。とりわけ、昭和天皇の記憶を持った年齢層の人々にとって、皇室の変化を感じさせる出来事だったのではないか。

 現在の天皇制は、日本国憲法下での国民統合の象徴という位置付けだ。日本国民の多くが戦後生まれの天皇陛下と、かつてキャリア・ウーマンだった皇后さまを親しみの持てる存在として捉えているのではないか。

 ここ10年、自公政権は沖縄に「寄り添う」という言葉とは裏腹に、沖縄の人々の意思を無視している。その象徴が辺野古であり、沖縄の人々は憤りを抱えているのだろう。そうした点から彼らは「基地の島」からの脱却に対して幾分の期待を現在の天皇に込めている印象がある。仮にその期待が幻想だとしても、国民統合の象徴としての天皇に、同じ日本人として扱ってもらえると期待しているのではないだろうか。
 (国際政治学)