遊園地→プール→ホテルの駐車場…地域見守る「ソニー坊や」ファンの手で19年ぶりにお色直し


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新北風(ミーニシ)が吹き付ける中、ソニー坊やのお色直しに駆けつけた紀々さん(左)、徳村弘輝さん(中央)、大田武男さん(右)=10月24日、糸満市名城の琉球ホテル&リゾート名城ビーチ敷地内

 【糸満】沖縄県糸満市名城の琉球ホテル&リゾート名城ビーチ敷地内で10月24日、「ソニー坊や」(坊や)が19年ぶりにお色直しした。本部町謝花の坊やを世話する大田武男さん(62)=同町=も塗り方やペンキ選定を指導するため、泊まり込みで駆けつけた。

 1960年代に沖縄ソニー代理店だった電器店「電波堂」創業者の故・新川(しんかわ)唯介さんが子どもたちの交通安全を願い、県内各地の交差点などに坊やを設置した。62年10月17日の本紙は那覇市内など30カ所に坊やが設置されたと報じたが、沖縄本島に現存するのは5体だけ。坊やはコンクリート製で約2メートル。1体約400ドルで、トゥータンヤー(トタン屋)一軒が建つほど高価だった。設置の経緯や場所など、多くは謎に包まれている。

 名城ビーチは60年代に海水プールや遊園地が開かれ、南部一の行楽地として週末は多くの家族連れでにぎわった。「亀仙人」こと徳村弘輝さん(67)=糸満市=と、新川さんの娘・仲里紀代美さん(74)=那覇市=もビーチパーティーや遠足で訪れ、青春時代の楽しい思い出の場所として記憶する。徳村さんは「坊やはノスタルジーを誘う。名城ビーチの歴史を知り、僕らを和ませてくれた」と話す。

 栄華が去った後も、坊やはプールサイドで大海原を眺めて立っていた。その様子を徳村さんは、愛犬・カカラットとウミガメ調査をしながら「寂しそうだな」と横目で見ていた。

 徳村さんはスマートフォン購入をきっかけに、新川さんの孫・紀々さん(47)や県内外のファンで構成する「ソニー坊やと語る会」の存在を知り「坊やを守りたい」との気持ちが強くなった。

 約4年前にホテル建設を知り、紀々さんの元にも坊やの行く末を心配する声が多く寄せられた。「思い出を壊さないで」と、工事現場の駐在員と坊やの保護を交渉するファンもいた。ファンの愛や縁もあり坊やは設置場所が変わり、現在は従業員駐車場から宿泊客を静かに見守る。

 ほかの4体も必要な時にペンキが塗り替えられたり、クリスマスには電飾できらびやかに変身したり、地域の愛と善意で守られている。紀々さんは坊やを見守るコミュニティーの在り方は「世の中の問題解決に役立つのかもしれない」と語った。

 ソニー坊やに関する情報提供は、ホームページ「公式☆沖縄ソニー坊やプロジェクト」まで。

(比嘉璃子)