1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。
日本「復帰」した1972年11月12日の琉球新報1面トップは、「衆院あす解散、来月10日投票へ/田中内閣に初審判/各党、少数精鋭主義で/外交・防衛路線評価がカギ」との見出しで、衆院解散と12月10日投票の日程を示している。関連記事で「ベトナムで慎重な態度/政府 復興、要請を待って援助」との見出しで、参院予算委員会の様子を伝えている。
衆院選に向けては「西銘、国場、桑江の3氏公認/衆院選 自民、あす決定」との見出しで、自民党の沖縄公認候補選定の方針を紹介している。
県の公害対策連絡協議会でアルミ企業の石川地域への誘致を断念したことを受けて「アルミ企業/他地域への誘致示唆/副知事が言明/石川はあり得ない」との見出しで、宮里松正副知事が会見でアルミ企業誘致に対する見解を示したことを伝えている。
さらに「きょう浦添市長選/当落はあす昼前に判明」との記事も掲載している。
このほか「全国革新市長会の都市問題会議/基地対策委設ける/闘争を統一的、組織的に」との見出しで、全国の革新市長会の会議が那覇で開かれた様子を伝えている。
復帰後、国道になったにもかかわらず米軍が占有している331号を住民が解放するよう求めている問題に関して「賃金カットはやむを得ない/331号線、年内に開放/銅崎施設局長」との見出しで、銅崎那覇防衛施設局長が上原康助社会党県本委員長らに回答した内容を伝えている。
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5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。