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元日本代表スプリンターがプロボクサーになるまで「挑戦はいつからでも遅くない」<ブレークスルー>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 沖縄を代表するスプリンターとして400メートルなどで活躍した元日本代表で、2年前に引退した県出身の木村淳(31)=中部商高―中央大出、大阪ガス=が、子どもの頃からの夢だったプロボクサーとして新たな一歩を踏み出した。一線を退いたあとに配属された営業の仕事をこなしつつ、ボクシングジムに通って腕を磨いてきた。13日に大阪であった日本ボクシングコミッション(JBC)のプロテストC級に合格。「夢は諦めずに、挑戦できるなら挑戦したほうが良い。いつからやっても遅くない」と強調する。

■俊足自慢
 

福井国体成年男子400メートル決勝 7位に入った木村淳=2018年10月

 幼い頃からの俊足自慢は、山内小3年で陸上クラブのアンテロープに入ると、同世代の県大会100メートルで優勝を飾るなどすぐに頭角を現す。強い足首と大きなストライドを生かした推進力で、山内中3年時に400メートルで県中学記録を出した。高校3年時は全国総体の200メートルで2位に。2009年新潟国体の男子400メートルリレーではアンカーとして県勢初の同種目優勝のゴールを切った。

 大学3年で400メートルへ転向し、4年時に国内トップクラスの45秒台に迫る46秒00の県記録を打ち出す。

 実業団でけがに苦しむも2018年に男子、男女混合それぞれの1600メートルリレーで日本代表に選ばれ、アジア大会に出場した。

 400メートルの県高校記録、大学時代に打ち立てた200メートルと400メートルの県記録は未だ破られていない。東京五輪出場も目指したが、大会は1年延期に。「好きでやってきた」陸上競技だったが、開催予定だった20年のシーズンが終わると引退を表明した。

■タイミング
 

 引退表明の1週間後、「体がなまってしまう」と向かった先はボクシングジムの大阪帝拳。父や叔父がボクシング経験者で幼少期から競技に触れる機会があった。実は小1で両親に「ボクシングがやりたい」と打ち明けたが、「危険なスポーツだから」と許してもらえなかったという。

プロボクサーとして新たな道に進む木村淳(提供)

 陸上に一区切り付けたことで「やるならこのタイミング」と決断した。経験は全くのゼロだったが、陸上で培った感覚が生きた。パンチの瞬間に手首や肘を固めるのは、走る時に足首などの関節を固めて地面の反発をもらうイメージに似ていた。まだ確立はできていないが、リーチの長い腕を生かして距離を取り、カウンターを狙うのがスタイルだ。陸上と同じく「いろいろ考えて組み立てるタイプ」と自身を分析する。

 一方で体の使い方が大きく異なり、スタミナがより求められるボクシングは「しんどいのが9割」とも語る。それでも自身をうまくコントロールしたり、勝利したりすることに喜びを感じている。

 営業の仕事に慣れ始めるとジムに通う時間が増え、「やるならプロを目指したい」と今年4月から本格的に打ち込んだ。仕事を終えて午後7~9時にジムで汗を流す。午後10時に帰宅後、さらに走りに行くストイックさ。「スポーツも本気でしかやったことがない。趣味の感覚が分からない」と手は緩めない。

 プロテストの年齢制限は34歳。試験を受ける前、両親から「自分の人生だから好きなことを」とエールももらった。初のプロテストはウエルター級。スパーリング相手は初めて向き合うサウスポーだったが、夢中になって臨んだ。「ダメだと思った」が結果は合格。「やってきたことが実になった。うれしかった」

 176センチ、67キロの遅咲きボクサーにデビュー戦の見通しはなく、ひたすら練習に打ち込む日々だ。しかし「試合をしたい。日本ランカーになりたい」と力強く語る。スパイクを脱ぎ、グローブをはめてリングに上がる新たな挑戦の毎日に表情は明るい。いくつになっても夢を追いかけるその姿は多くの人に力を与える。

(金良孝矢)