復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉11月22日「米陸軍、地上物件の制限要求/電波妨害を理由に」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」した1972年11月22日の琉球新報1面トップは、「立候補総数は894人/総選挙・届け出締め切る/〝少数激戦〟深まる/新人は前回より減少」との見出しで、総選挙の出馬状況を掲載している。関連では「全国で7414万人」とし、県内情勢として「早くも混戦もよう/県内の立候補者/政策浸透に全力投入」との記事も掲載している。

 読谷村瀬名波の米陸軍放送情報サービス(FRIS)部隊を巡り「地上物件の制限要求/米陸軍情報サービス/電波妨害を理由に/読谷村瀬名波『権利侵害』と怒る」との見出しで、読谷の米軍部隊が基地内に居住権を持つ渡慶次区民10世帯に電気器具購入と取り付けを許可申請するよう通告してきたことを紹介している。記事では「すでに8世帯が契約に応じているが、残る2世帯は『居住権、生活兼など正当な国民の権利の侵害』―として契約を拒否、場合によっては法廷闘争も辞さない構えで、米軍の出方が注目される」と伝えている。

 記事によるとFRBとは「各国の電波を軍事目的で受信、分析しているCIA(アメリカ情報局)の機関で1950年ごろ、瀬名波と渡慶次の一部を強制収用して設立」という。「だが収用以前から住み着いていた10世帯には『基地内居住権』を認め電気器具、建造物に対して制限を加えた。復帰前に米軍と住民が交わした契約では、電気器具がテレビ、ラジオ、冷蔵庫など数品目に制限、電力を250ボルト以下に押さえた。そのためけい光灯、吸い上げモーター使用は、いまも許可されず、白熱灯を使用しているのが現状。建物の増改築、新築も許可を受けるのが〝慣行〟となっている。契約に反すれば民間電力だが米軍が電力供給をストップした」と経緯を紹介。

 ところが「復帰によって米軍との契約が〝無効〟になったことから、さる9月『電気器具の新品または中古品の購入及び取り付けの時、事前に直接、書面か村役場を通じてFBISに許可申請をすることに同意する』―との新規契約書が配布された。契約に応じた8世帯は、土地は防衛施設庁、地上物件は米軍という変則的な〝二重契約〟。こんどの契約は建て物について触れてない」と解説している。

 復帰に伴う自衛隊の沖縄配備では「輸送ヘリなど10機到着/軍事色強まる那覇空港」との記事を掲載し、さらには次期自衛隊の主力航空機に関して「ファントム戦闘機RF4Eの輸入合意/日米間で交換公文調印」とも伝えている。

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。