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実効性ある救済手続きを デモや集会、制約懸念も ヘイトスピーチの規制<山田健太のメディア時評>


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎
沖縄県庁(資料写真)

 沖縄県でいわゆるヘイトスピーチ対処条例の検討が進んでおり、本年度中の制定をめざしていると伝えられている。近日中には素案が示され、パブリックコメントも実施されるであろう。差別・憎悪言動をいかに根絶していくかは、とりわけ分断化が進む社会の中で相手方を罵詈雑言(ばりぞうごん)で罵倒したり、社会的に弱い立場の者を侮蔑・嘲笑するような風潮があるだけに、喫緊の課題であることは言うまでもない。しかし、その対応策として法令をもって厳しく罰することが最善の策なのかも含め、慎重に議論すべきことは多い。

 本欄(2013年10月12日付ほか)で一般論として述べてきたように、差別言動の対応策としては大きく、予防・救済・規制がある。日本では国レベルとして、人種差別撤廃条約批准を受けての国内法整備の一環として、人権啓発法が制定された。同法とそれに基づく基本計画によって、教育・啓発・予防のための国・自治体の責務はじめ一般企業においてもさまざまな取り組みがなされている。救済に関しては、法務省人権擁護委員制度があるものの一連の差別言動に機能しているとは言い難(がた)い。一方、規制に関してはヘイトスピーチ解消法ができたものの、具体的強制力をもたない理念法としての色彩が強いことは否めない。

自治体の対応も

 そうした中で、2010年代に入って具体的な差別・憎悪言動を含む街宣活動が行われてきた地域を中心に、条例による対応策をとる自治体が現れるようになった。その典型例は、大阪・鶴橋、川崎・桜本の在日コリアン集住地区を抱える大阪市と大阪府、川崎市の条例化であろう。大阪は先進自治体として国の議論に先行して氏名公表スタイルを導入し今日に至っている。一方で川崎は初の刑事罰導入で話題になったが、それ以前にも公的施設の使用制限ができるガイドラインを制定するなどの取り組みを進めてきている。

 あるいは京都市や神戸市も、同様の差別実態を前に施設利用制限などの対応策が作られた。部落差別問題の先進県でもある香川県下では、以前よりある人権条例に重ねる形で規制ルールを策定するなどしている。現在検討中の相模原市もこの範疇(はんちゅう)といえ、とりわけ最近の選挙ヘイトとでもいうべき、選挙活動をかたった差別・憎悪言動に対する対応策として、条例制定が位置付けられている。

 これに対して東京都はオリンピックの開催に合わせた多様性社会の実現を念頭に置いた啓発型の条例だ。ただし注意が必要なのは、都はほぼ同時期にコンビニエンスストアから「有害図書」の一斉排除を実施したり、首長である都知事が関東大震災における朝鮮人犠牲者への追悼を取りやめるなど、いわば「浄化」政策の一環として条例が位置づけられているようにみえる。これは行政の判断のもとに、意に沿わない言動を排除するという使われ方に発展しかねない危険があるということだ。

事態は変化

 これからすると、今回の「沖縄県本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する条例(仮)」の場合は、明確な立法事実(条例が必要な具体的な差別言動の例)について、十分に示されていないのではないか。それからすると、どちらかといえば前述の啓発型ということになると思われる。その場合は、規定内容もマイルドなものにならざるを得ないと思われるし、むしろ対応の第一歩として大切なのは、県や首長自身が多様性を認め合う共生社会実現のために、どのような姿勢を示すかということではないか。

 あるいは、他の条例が主として念頭におく在日コリアンに対する差別言動より、いま沖縄が直面する「沖縄ヘイト」に対処するためならば、それに即した政策を考える必要がある。どちらも「見下し」という意味では近似しているものの、ひろゆきや百田尚樹の両事案の場合も、揶揄(やゆ)や嘲笑による炎上商法とも言えるビジネスとしての側面があり、残念ながらこれらは今般検討されている条例では対処しきれない。

 これまで日本には差別を禁止する法律がない、という言われ方をしてきた。しかしここ十年ほどで事情は大きく変わってきている。女性に始まり、障碍者、アイヌ、部落、ハンセン病など特定分野に関する人権法が整備されてきた。ヘイトスピーチ解消法後は行政の取り締まり姿勢も明確に変わり、司法においては集住地区における街宣活動の禁止命令も出されている。

 ネット上の誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)投稿等に対しては、発信者情報の開示手続きの簡素化が法改正と行政手続きの変更で実現し、その具体的な実践は今始まったばかりだ。さらに今年春には侮辱罪の厳罰化を実現し、いわばヘイト言動に対し懲役刑が科される可能性もある。

 当事者からすれば「ようやく」といえようが、侮辱罪はわずか半年の法制度審議で改正まで進むなど、一気呵成(かせい)に対応策は充実してきているわけだ。そうしたなかで、これらの効果の測定もないまま、県内で威嚇的なあるいは刑事罰による抑止力を期待するような条例を作ることの意味合いは見当たらない。

表現の自由

 しかも、この差別や憎悪を含む街宣活動等の規制において厄介なのは、常に表現の自由との関係が生まれることである。しかも時に、内容に踏み込むことなく、平穏な生活の維持、騒音の防止、道路のスムーズな運行などを理由にして、デモや集会を制約することが日本では頻繁に行われてきた歴史があるし、現在もそうだ。

 こうした取り締まる側に恣意(しい)的な判断権を委ねる法令の怖いのは、差別言動を含むような「悪いデモ」は取り締まるが、政治的主張を行う「善いデモ」は捕まえない、という善し悪しの判断を公権力が行う点にある。いつ何時、善悪が逆転するかわからないのである。実際、日本の中でも沖縄は、米軍基地関連の抗議活動で逮捕者も出ている土地柄である。そうした県で、さらなる「治安」条例を作り、警察による取り締まりの手法を増やすことは、たとえ具体的な刑事罰規定がないにせよ、あまりに危険な賭けではないか。

 ヘイトに抗(あらが)うための「唯一の選択肢」は禁止条例ではなく、たとえば対象に沖縄ヘイトを包含した、実効性がある「安(くて)簡(単で)早(い)」の行政救済手続きの充実を図ることなどが考えられる。それは、県内での「批判の自由」を守るためでもある。

 (専修大学教授・言論法)