「戦争があったことを忘れてはいけない」遺族ら、サイパン島「おきなわの塔」で戦没者悼む 南洋群島慰霊の旅


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サイパン島の「おきなわの塔」に線香を上げ、手を合わせる兼城賢愛さん(左)、宮里善孝さん(中央)、宮里榮子さん(右)=4日、サイパン島(国際旅行社提供)

 太平洋戦争で日米両軍の地上戦が行われた旧南洋群島の県出身戦没者を追悼する、南洋群島慰霊と交流の旅の参加者24人は4日、サイパン島の「おきなわの塔」を訪れた。「戦争を体験していなくても、戦争があったことを忘れてはいけない」と18歳の参加者は心に刻んだ。会員の高齢化から一度は中止となったが再開された旅で、遺族らの思いは後世へと引き継がれていく。

 1944年6月、サイパン島の南部に米軍が上陸。県人を含む民間人は北へと追い詰められた。最北端の崖・マッピ岬からは多くの人が身を投げた。「おきなわの塔」はそのマッピ岬の近くにある。参加者らは線香を上げ、手を合わせた。

 サイパンで両親ときょうだい4人を亡くし、戦時中1人で逃げ惑ったという兼城賢愛さん(89)=うるま市=は「戦争は勝っても負けてもよくない。若い人も平和を願ってほしい」と家族と共に参加した。家族とはぐれた当時10歳の兼城さんは、目覚めたら死体だらけの海にいたという。娘の新田友子さん(64)は「同じ場所で当時の状況を想像すると、心に刺さる」と声を詰まらせた。

 照屋寛成さん(18)と大地さん(11)は兄弟で祖父の生まれたサイパンの地を踏んだ。大地さんは「沖縄以外にも戦争があり、犠牲者がいることを知った」と旅に参加して視野を広げた。寛成さんは祖父が生まれた収容所があった場所、祖父の父が生死の境目に立ったというマッピ岬を間近で見た。「この上に自分が生きている」と感じた。「一番感じたのは、戦争があったことを忘れてはいけないということ」と平和への思いを新たにした。
(金盛文香)