「父の遺志、継ぎたかった」証言集や平和学習で風化させぬ 川崎米軍機墜落事故からきょう61年 沖縄


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(左から)証言集発刊に尽力した又吉法尚さん、平和集会で事故の継承に取り組む横田恵校長

 【うるま】1961年に旧具志川村川崎(現うるま市川崎)に米軍ジェット機が墜落した事故から7日、61年を迎えた。事故の継承に取り組むうるま市議の又吉法尚さん(50)は8年前、証言集の発刊に編集委員長として尽力した。証言集の編さんがきっかけとなり、川崎小学校で毎年、平和集会が開かれるようになった。事故から60年の節目となる昨年からは、同校の横田恵校長(60)が子どもの主体性を重んじる平和集会に趣向を変えている。それぞれ事故を風化させない取り組みを続けている。

 2人の死者と6人の負傷者を出したが、59年の宮森小米軍ジェット機墜落事故と比べてマスコミに取り上げられる機会は少なかった。又吉さんと横田校長は同校出身でありながら、約10年前まで事故を知らなかったという。周知のきっかけは又吉さんの父、清喜さん=享年69=が事故50年の節目に証言集の編集委員会を発足させたことだった。

 発刊前に父は亡くなったが、又吉さんが「遺志を継ぎたかった」と編集委員長を引き継ぎ14年に証言集を完成させた。多くの体験者は事故のことを語りたがらなかった。又吉さんらは何度も足を運び説得したという。又吉さんは「事故があったことをイメージできるようになった。当たり前の日常が当たり前ではないことを伝えていきたい」と話した。

 横田校長は事故60年の節目となる21年に同校に赴任した。平和集会は13年から開かれてきたが昨年から体験者に子どもが聞き取りをするなど主体的な学習に眼目を置いている。横田校長は「大人になって語れる人になってほしい」と意図を話した。今年も7日の平和集会での発表に向けて、子どもたちは詩の創作をしたり、紙芝居を作ったり、証言集を熟読して疑問点を自ら調べたりしている。宮森小事故を語り継ぐ「石川・宮森630会」の講話も聞き、事故への学びを深めてきた。横田校長は「受け身ではなく、子どもたちが主体的に考え、自分の言葉にして事故のことを伝えてほしい」と話した。(古川峻)