西武・山川、一問一答 野球辞めようと思ったこと、中学時代の思い出は?


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母校の城北中でちゃめっけたっぷりに生徒に語り掛ける西武の山川穂高=16日、那覇市首里石嶺町の城北中

 会場での山川選手への主な一問一答は次の通り。

―プロ選手になろうと思ったのはいつか。

 「小学6年生の頃。自分でサインを考え、今でもそのサインをしている。中学の頃はなれるとは思ってもいなかったし、家でゲームする方が楽しかった」

―野球をやめようと思ったことは。

 「高校では甲子園を目指したが、夏の県大会決勝戦で負けた。野球をやめようかなと思っていたが、岩手の富士大学の監督が、特待生として来ないかと声を掛けてくれた。沖縄の環境とは違い、冬の岩手はマイナス10度にもなる。何も知らずに岩手に行った」

―ホームランを打つためのこつは。

 「練習からホームランを打ち続けることを意識している。練習でできないことは試合でもできない。レフトに引っ張るのではなく、バックスクリーンに打つように何度も繰り返し練習する。こつというよりも結局は感覚」

―大学の時に初めて日本代表に選ばれてどうだったか。

 「(それまでの経験と)全然違う。いつもは年間を通してリーグ戦だが、代表戦はトーナメントで負けられない戦いが続く。プレッシャーもあるが、その環境でやれる不安も楽しみも両方ある。違うチームの選手と食事したりプレーしたりでいっぱい学ぶことがある。それをチームに持ち帰り、仲間にも経験を伝えた」

―生徒たちに向けて。

 「僕は中学時代、先生によく怒られた。夢は大きければ大きいほどいい。友達とたくさんおしゃべりして、良い経験をして、先生に怒られて一日一日を大切に、大人になっていってほしい」