沖縄は「そろばん王国」ラジオ局と提携、テレビCM…礎を築いたキーパーソンの「計算」とは


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教え子たちが獲得した数々のトロフィーを眺める宮城清次郎さん=11月24日、浦添市屋富祖の宮城珠算学校

 毎年10月に1万人規模で開かれる全日本通信珠算競技大会(全国珠算教育連盟主催)は、今年も県勢が席巻した。表彰対象の100位内に入った県勢は小学4年以下の部が18人、小学校の部(高学年含む)が26人、中学校の部が22人。各部門5人に1人を県勢が占め、活躍が目立つ。今や「珠算王国」の沖縄も、かつては弱小県。沖縄珠算界の歴史を知る全日本珠算教育連盟顧問の宮城清次郎さん(86)は「習い事の低年齢化を予測し、幼児向けの教材を開発したのが功を奏した」と、躍進の裏側に強豪県を目指した「計算」があったことを明かす。

 宮城さんによると、2人のキーパーソンが沖縄の珠算界の礎を築いた。一人は県支部初代支部長の故・山田親民さんだ。戦後、防空壕から大そろばんを拾い上げた。この大そろばんが「王国」への第一歩だった。山田さんは珠算を学び、銀行に就職。技能を業務に生かすだけでなく、働きながら夜間に「成人学校」を開き指導した。後に、県内老舗IT企業リウコム初代社長に就任することになる。

山田親民さん(リウコム提供)

 もう一人の立役者は2代目支部長の山崎幹生さん。鹿児島商業高校を卒業後、那覇市で木材商を始めた。週に一度、首里高校で珠算を指導したほか、ラジオ局と提携して読み上げ算を放送。全問正解するとスポンサーから商品がもらえる仕組みもつくった。アイデアと行動力で裾野を広げた。

 復帰前は珠算の練習帳すら入手困難だったという。学ぶ機会が限られた中、山田さんと山崎さんは有志で資金を募り、全国大会で団体優勝した兵庫県の高校生を招聘(しょうへい)。若手を刺激し、向上心の種を植え付けた。

 宮城さんは2人からバトンを受け継ぎ、日本復帰の1972年、3代目支部長に就任した。支部会員と徹底的に話し合い、課題と目標を掲げた。目標の一つが、習い事が低年齢化することを見越しての幼児向け教材開発だった。予測は見事的中。テレビCMの放映も奏功し、子どもの珠算人口は増加した。

 81年に北谷中の女子生徒が県内で初めて最高位の十段に合格、88年に全日本通信珠算競技大会で具志川中が県勢初の全国制覇を成し遂げた。飛躍の80年代を経て、優秀な人材が次々と誕生。十段合格者は昨年時点で珠算204人、暗算395人に上る。いずれも都道府県別でダントツだ。

山崎幹生さん

 電卓やパソコンの登場により、珠算は実業とは離れたが、今も能力開発の習い事として定着した。宮城さんの珠算学校も4人の東大生を輩出した。「沖縄の子は学力が低いと言われるが、私はそう思わない。珠算だけではなく文化やスポーツで成功している子も多い。沖縄の子は頼もしいよ」。熱意と工夫と計算で、珠算界のレベルを押し上げた3人目のキーマンは、沖縄の将来に希望を抱く。 (稲福政俊)