1991年のソ連クーデター未遂、ゴルバチョフ氏の「生存」、日本政府がいち早く確認 外交文書で判明


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佐藤 優氏

 1991年8月19日、ソ連崩壊の発端となった共産党保守派によるクーデター未遂事件。軟禁状態にあったゴルバチョフ大統領の安否が取り沙汰される中、モスクワの日本大使館員の情報で世界に先駆けて日本政府が生存を確認し、クーデター失敗の可能性も把握していたことが21日公開の外交文書で分かった。

 公電によると91年8月20日、在ソ連(在ロシア)大使館員だった作家の佐藤優氏が、クーデター首謀者に近い共産党幹部と面会。ゴルバチョフ氏の「所在」「生存」を聞いたところ「クリミアの別荘で静養を続けている。重いぎっくり腰だが意識は正常」との回答を得た。

 当時は各国がゴルバチョフ氏の安否やクーデターの動向を注視。日本政府の情勢判断が遅いとの批判もあったが、実際には正確な情報をつかみ、推移を見守っていたことがうかがえる。

 佐藤氏は共同通信の取材に「実際は『ゴルバチョフを殺したのか』と聞いた」と明かす。党幹部は首を横に振った上で「現政権では、食べ物すら外国に依存する三流国になる」と強調。クーデターを全面支持する文書を作成中で「あすの朝刊に文書が載ればわれわれの勝利だ」と続けた。一方で失敗の可能性も口にした。佐藤氏は党幹部に、「なぜ情報を教えてくれたのか」と疑問をぶつけた。「危機的な状況になると、日本人やロシア人など関係なく、真実を誰かに語りたい欲望が出てくるものだ」と答えが返ってきたという。

 クーデターは、ロシア共和国のエリツィン大統領らの抵抗もあり失敗。ゴルバチョフ氏は政治的権威を失い、同12月に辞任、ソ連は消滅した。
(共同通信)