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「やりたいのはこれだ」心が震えた瞬間 大病を乗り越え刻むリズム 中村亮さん(ジャズドラマー・作曲家)<夢かなう>


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心地よいドラムを聴かせる中村亮さん=那覇市松山のBAR BOND

 沖縄県那覇市松山にある会員制バー。ドラムでジャズのリズムを響かせるのは、ドラマーで作曲家の中村亮(あきら)さん(43)だ。毎週月曜日の夜、ジャズ仲間と一緒に色気のある演奏を聴かせる。客はカウンターでカクテルを飲みながら、目を閉じて、心地よいジャズの音色に酔いしれる。

 父は作曲家で南城市文化センターシュガーホールの芸術監督だった故・中村透さん。幼い頃、父の勧めでピアノやバイオリンなどを習い、中学、高校では受験のためにピアノや打楽器、楽典、ソルフェージュなどに打ち込んだ。長いレッスン生活に「音楽につまらなさを感じ、自分は将来何をしたいのか分からなくなった」という。

 「音楽から距離を置こう」と、高校3年の時、米国の高校へ留学する。留学先では英語があまり話せなかったことなどから、コミュニケーションの手段としてバンド部に入った。ある日、部員の一人が中村さんを自宅に招いた。「数人の部員が大音量で音楽を聴き、耳コピ(耳で聞いて覚える)で演奏していた。楽しそうに音楽をする彼らの姿に感動した」と振り返る。

 ボストンのバークリー音楽大学にも足を運んだ。「ブラックミュージックを演奏するドラムの学生を見て、心が震えた。自分がやりたいのはこれだ。人生を懸けてドラムをやりたいと強く思った」。中村さんは1998年、バークリー音楽大学に進学し、ドラムの研鑽(けんさん)を積み、卒業後はボストンの老舗のジャズクラブ「ウォーリーズ・カフェ」に認められ、ドラムをたたいた。その後も米国や中国などでフリーランスのドラマーとして活動する。

 2007年3月、ニューヨークで脳の腫瘍摘出手術を受けるも、頭痛や嘔吐(おうと)を繰り返し、沖縄へ帰郷した。沖縄で二度目の手術を受けたところ、ニューヨークでの手術がずさんだったことが判明した。「手術から目が覚めた時、家族や友人など、大事な人たちのために生きなければならないと思った。まだ自分にはやるべきことがある」と、音楽活動にまい進する。

 作曲も手掛け、現在までに100曲以上の作品を生み出した。同年、サクソフォン奏者のこはもと正さんらと出会い、ジャズユニット「エレメント・オブ・ザ・モーメント」を結成。県内外でオリジナル曲やジャズミュージックを演奏している。

 沖縄のジャズについて「沖縄で演奏する先輩プレーヤーの個々の表現と技術に感動した。与世山澄子さんやアラン・カヒーペさんなど、素晴らしい歌手や演奏家ばかりがそろっている。その中に自分もいることを大変うれしく思う」と熱く語る。

 09年に東京、15年にドイツ・ベルリンでの音楽活動を経て19年に沖縄へ帰郷した。現在では、ジャズイン南城や昨年9月に開催された「なはーと ジャズウィーク」(那覇市主催)のプロデュースなど、さまざまな活動に取り組んでいる。「いつか沖縄で音楽学校を開きたい」と語る。「トップダウン方式ではなく、指導者と学生が対等に学び、一人一人個性のある音楽を生み出す学校をつくりたい」

(金城実倫)