旧満州で撮影の写真「家族に届けたい」 日中戦争時の38枚 名嘉さん、義父の遺志継ぎ呼び掛け


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満州で撮影された写真の一部。下右端は裏面に「金城珍栄殿」などの記載があり、上左端は「中島益郎殿」下左端は「稲光安雄君」の記載がある。

 沖縄県宜野湾市在住の名嘉清次さん(75)が、日中戦争前から開戦後にかけて旧満州(現中国東北部)に出兵していた義理の父・長山一雄さん(旧姓・仲兼久)が撮影した写真に写っている人物の家族や親族らに、写真の受け取りを呼びかけている。ほとんどが1936年~37年頃に旧満州の東寧(トウネイ)などで撮影されたとみられ、現地で一緒だった青年ら一人一人の肖像や集合写真、風景の写真などがある。裏面に名前や撮影した当時の状況が記載されている物もあり、現在38枚が残っている。

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 長山さんは写真が趣味で、旧満州にカメラを持参していたという。名嘉さんによると、写真は帰沖後に現像したとみられ、ずっと大切に保管していた。長山さんは2007年7月に亡くなったが、亡くなる1~2年前に「写真を皆に渡してほしい」と名嘉さんに託した。

長山一雄さん

 名嘉さんは、写真の裏に書いてある名前などを頼りに電話帳を調べ、写真に写る人物の家族に届けて歩いた。北部から南部まで70枚を配った。涙を流して喜び、長山さんの仏壇に線香を上げに来る人もいたという。

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 長山さんは1915年生まれで名護市安和出身。県立第三中学校卒業後、沖縄製氷で5年間働き、36年に20歳で徴兵された。著書によると、同年4月から、満州派遣歩兵第十四連隊第九中隊として旧満州の穆棱(ムーリン)に渡った。

名嘉清次さん

 37年2月下旬~11月下旬頃にはソ連(現ロシア)に隣接する東寧に駐屯し、写真はその当時撮影したものとみられる。満期除隊で38年に沖縄に戻ってからは警察官になり、警務部長まで務めた。

 名嘉さんは「1枚でも2枚でも喜んでくれる人がいると思う。この写真が、家族にとってはお金で買えない価値を持っているかもしれない」と話した。問い合わせは琉球新報暮らし報道グループ098(865)5158。
(中村優希)