名嘉清次さん(75)=宜野湾市=の義理の父・長山一雄さんが旧満州(現中国東北部)で撮影したのは肖像写真が中心だ。写真の裏には、名前や撮影場所、撮影時の状況などの説明が記載されている物と、何も記載がない物がある。風景などの写真も4枚あり、裏には情景の説明が書かれている。
写っている人物は名前から推察して、県出身者と県外出身者の両方がいるとみられる。例えば1937年4月撮影でまっすぐカメラを見詰める青年の写真は「與那嶺盛福君」、犬と一緒に写る青年の写真は「大城盛成君」と表記され、この2人は県出身者の可能性がある。
ほかには鉢植えの花と写る青年の写真には「小林潮君」、赤ちゃんを抱いた「満州乃大人」と一緒に写る青年の写真には「竹乃芳信君」と記載されている。
長山さんは、旧満州の国境警備派遣軍に編成されていたことから、国境近くで撮影したとみられる風景写真もある。
銃を持った兵士が木の横に立っている写真の裏面には、「夕陽は地平線の彼方に没せんとす 防寒服に身を固め 酷寒を征服●(判読不可)て 国境警備」と記載がある。また馬に乗った人たちが長蛇の列で国境近くを進んでいるような写真もある。
名嘉さんによると、長山さんは生前、旧満州での経験について多くは語らなかったが「地獄のような寒さでつらかった」などと話していた。雪が降り積もった中で長山さんが写った集合写真もあり、現地の極寒もうかがえる。
沖縄戦時の県警察部の戦中行動記録を記した長山さんの著書「鎮魂の断章 来し方の盟友へ」には、旧満州滞在についても触れられている。たまたまラジオで流れていた沖縄民謡「浜千鳥」を聞いた時には「押さえに押さえていた郷愁の念が一気にこみあげた」と望郷の気持ちを語っており、沖縄にいる母から送られてきた琉球料理の小包を皆で分けて食べたことなども記されている。
(中村優希)