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下地島空港「屋良覚書」を生かせるか 脱「お願い」へ効力強化模索 県の逡巡㊦<自衛隊南西シフトを問う>10


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下地島空港の開港式典でテープカットする(左から)西銘知事、森山運輸相、海原沖縄開発庁振興局長=1979年7月5日、下地島空港

米海兵隊が13日、宮古島市の下地島空港を訓練で利用すると県に届け出て、県の自粛要請を受けて19日に使用を取りやめた。下地島空港の軍事利用を否定した「屋良覚書」の効力が焦点の一つとなった。県が利用を拒否できず、あくまで自粛を「お願い」するしかないという立場を取ったためだ。

下地島空港の建設を巡り、琉球政府の屋良朝苗主席(当時)は1971年に国と「屋良覚書」を交わした。空港を管理する琉球政府がその使用方法を決定し、民間機以外は使用しないことを確認。運輸省(当時)も民間機の訓練以外に使用する意思がなく、琉球政府に命令しないことを確かめた。沖縄の日本復帰後の79年には西銘順治知事(当時)が同じ趣旨の「西銘確認書」を国と交わした。

国交省担当者は米軍の下地島空港利用について「国交省として特別に対応することはない。屋良覚書は、空港利用の調整の権限が県にあると確認しただけだ」と説明した。通常、どの空港でも利用の可否は管理者が判断する。国交省の説明に基づけば、覚書があってもなくても同じになる。

だが、屋良覚書の主眼は軍事利用を回避することにある。2007年度に宮古島市が策定した空港の利活用計画でも、屋良覚書は「軍事利用をしない・させないとする」と記載されている。他の空港と同じ内容を確認しただけだとする国交省の解釈は、覚書の意味を矮小化(わいしょうか)する。実際、今回は屋良覚書を理由に県が使用自粛を求め、米海兵隊は使用を見送った。覚書が効力を発揮した「いい前例」「快挙」(県関係者)との見方もある。

一方、04年や06年には米軍が県の自粛要請に反して使用を強行した例もある。今後も米軍が日米地位協定を盾に強行しようとする可能性は否めない。

ある県関係者は「公共施設は民間航空や空港施設への影響が生じない限り、米軍が使用を強行すれば県が拒否することは難しい。屋良覚書は(拒否する)根拠として弱い」と頭を抱える。

琉球大の山本章子准教授(国際政治史)は県が「県空港の設置及び管理に関する条例」とその施行規則に屋良覚書などを反映させてこなかったため、覚書などが拘束力を持たない状態になっていると指摘する。今回の動きを機に「県も屋良覚書をどのような形で引き継ぐのか検討すべきだ。米軍単独ではなく、県との共同の防災訓練なら認めるのかなど、具体的に想定する必要がある」と語った。

与党県議の一人は「行動を起こさなければならない。黙っていればやりたい放題になる」と県の対応が自粛要請にとどまる現状について危機感を示した。防衛省・自衛隊も下地島空港を使用する意向を示す中、覚書などの実効性を高めるために条例化などが進められるか。今後、県や県議会の動きが焦点となる。 (明真南斗、武井悠)

連載「自衛隊南西シフトを問う」

2010年の防衛大綱で方向性が示された自衛隊の「南西シフト(重視)」政策の下、防衛省は奄美、沖縄への部隊新編、移駐を加速度的に進めてきた。与那国、宮古島に続き、今年は石垣駐屯地が開設される。22年末には戦後日本の安全保障政策の大転換となる安保関連3文書が閣議決定され、南西諸島の一層の軍備強化が打ち出された。南西シフトの全容と狙い、住民生活への影響など防衛力強化の実像に迫る。

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