1983年に開校し、1990年代に沖縄から全国に通用するスターを次々と生み出した芸能人養成校・沖縄アクターズスクール。全盛期に同校でチーフインストラクターを務めた牧野アンナさんが1月、同名の新会社「沖縄アクターズスクール」(牧野彰宏代表取締役社長兼CEO)を発足させた。同社の最高執行責任者(COO)兼エグゼクティブプロデューサーとして、沖縄を世界に誇るエンターテインメントの中心地にするため、まずは全国、そして世界に通用するグループの誕生を目指す。
アンナさんは、旧アクターズ代表取締役のマキノ正幸さんの娘。確執のあった父・マキノ正幸さんの意思と、アクターズスピリットを継ぐ形で新たなアクターズを誕生させた背景、「二度と携わらないと決めていた」というタレント育成に取り組むことを決意した理由や、才能発掘への思いを聞いた。
(聞き手・藤村謙吾)
■ダウン症の子たちにもらった居場所
―旧アクターズからは安室奈美恵やSPEED、MAX、DA PUMP、三浦大知などのスターが次々と誕生した。最盛期の生徒数は500人以上、最終選考を日本武道館で開催した1998年の全国オーディションには5万人以上の応募があった。その最盛期にチーフインストラクターを務めていたが、2002年に父の正幸さんと絶縁に近い形で、アクターズから離れた。何があったのか。
「アクターズは当時、私の全てだった。父からも『子どもたちを預ける以上、365日、24時間子どものことで頭をいっぱいにしろ』と言われていたので、全てをささげていた。しかし、次第に父の考えについていけなくなり、完全にけんか別れをした。アクターズでできなかったことをやるのは、残してきた生徒たちへの裏切りなので、以後タレント育成には携わらない、と決めて辞めた」
―日本ダウン症協会からの依頼をきっかけに、アクターズを辞めた2002年、ダウン症のある人たちのダンススクール「LOVE JUNX(ラブジャンクス)」を始めた。
「何をしようか、何ができるか悩んでいたとき依頼を受け、『この子たちの先生になる人がいないなら、私がなろう』と決心した。私がダウン症の子たちに居場所をつくってもらい、支えてもらった。自分の考えの下で物事をつくり上げていくことが楽しかった。同時に父の苦労も分かった」
―やがてアイドル候補生にレッスンをしたり、これまでAKB48やSKE48の振り付けをしたり、タレント育成にも関わっている。
「二度とやるつもりはなかったが、2005年ごろに大手芸能事務所の社長からタレント育成をしてほしいと言われた。それが『新人の子たちが、エンタメへのマインドができていないから、アンナさんに教えてもらった方がいい、と奈美恵(安室奈美恵)が言っている』という話だった。自分自身を全否定するようにアクターズを辞め、自信を喪失していた。そんなときに自分の教え子から必要とされて、救われた。その気持ちに応えたい、とタレント育成にも戻った」
■父との和解
―2022年10月にMAXなどアクターズ出身で、一時代を築いたアーティストが集まるライブ『沖縄アクターズスクール大復活祭』を開催した。ライブリハーサルでは正幸さんと舞台を見る姿も見られた。和解のきっかけは。
「アクターズを辞め、08年に久しぶりに会ったときもけんか別れで、父とはそれっきりだった。しかし、20年の年末に妹から『父の体調が悪い』と連絡があり、年が明けて父の自宅を訪れた。そのときの父は私に気付くなり『連絡しようと思ってた。仲直りがしたいんだ、けんかはしたくない』と言い、『マキノ正幸は終わっていると思われている。仕事がなかったら俺は存在している意味がない』と弱音を吐いていた。こんな弱っている父を見たことがなくて、衝撃だった。何か父が元気になることができないかと思った。それから月1回、父の家に通うようになり、大復活祭開催に至った」
―そのときから、新生アクターズを誕生させたいと考えていたのか。
「きっかけは、大復活祭の終演後。出演した三浦大知に『絶対にアクターズスクールは残さないとだめです』と声を掛けられ、ISSAやMAX、知念里奈からも同様の言葉を言われたことだ。大復活祭のステージを見て、あの時代この小さな島に、学校にこれだけ才能がある子がいたんだ、アクターズってすごかったんだと感じた。出演した子がみんな『幸せだった』『楽しかった』と言っていたのを振り返って、やらないといけないと思った。そのときまで1ミリもアクターズを継ぐ気はなかったが、翌日の午前中には父に会い『アクターズを継ぐことにしました』と伝えた」
―正幸さんの反応は。
「まず『良かった』と一言。父がだいぶん弱っていたので、私は『(受講生の)才能を、見落とすことがあるかもしれない。オーディションまでは元気でいてもらわないと困る』と言った。父は『少しでもお前の手伝いができるように頑張りたい」と言ってくれ、それから病院の待合室で、『才能を見抜くとはこういうことなんだよ』とレクチャーが始まった」
■沖縄をエンタメのメッカに
―新生「沖縄アクターズスクール」は、那覇市のパレットくもじ9階にスタジオを新設する。どのようなものになるのか
「通常のスクール同様に授業料をもらうのではなく、スポンサーにお金を出してもらって運営し、生徒は無料でレッスンを受けられる形を考えている。芸能界が昔のような強い憧れの場所ではなくなり、ダンススクールもたくさんできるなど、アクターズ全盛期の時代とは変わった。ダンススクールには、元アクターズの子たちが運営しているものも多い。今の沖縄で既にあるスクールの生徒を奪うのではなく、共存する方法を考えた。ダンスだけでなく『歌って踊って』を教えるアクターズならではの、『才能育成』に特化する場所にする。沖縄にあるスクールみんなで沖縄からスターを出すような、プロジェクトにしていきたい」
―SPEEDやDA PUMPらも所属したB.B.WAVESの名前を冠したオーディションが、始まっている。旧アクターズでは、育てた才能が本土の芸能プロダクションと契約してデビューする形を取っていた。新生アクターズでも同様の形を取るのか。
「今回、拠点はあくまで沖縄。令和版B.B.WAVESは、全国、世界に向かって勝負する中で、アクターズがプロダクション業務も兼務する。一方で、他の芸能プロダクションから声が掛かれば、そこからデビューすることも考えている。一方契約は、それぞれがB.B.WAVESの活動をする際には、沖縄に戻ってこられる形にする」
―あらためて、新生「アクターズ」に込めた思いを伺いたい。
「沖縄を面白くしたい。日本の才能が主に韓国に流れているが、育成できる場を沖縄に作れれば、才能は国内にとどまる。全国から沖縄に、さらに言えばアジアから沖縄に、歌とダンスで勝負したいという子が集まる。ここからスターを出して、世界中の人が見にくるようになったとき、沖縄をハリウッドやブロードウェーのような『エンタメタウン』『エンタメのメッカ』にしたい。それらを見るために、世界中から人が集まるようになれば、沖縄は経済的な面をはじめ、さまざまな面で強くなり自立できる」
―正幸も2013年以後は、生徒から授業料を取る運営方法を見直し、才能を見いだした生徒に無償でレッスンをして育成する形をとっていた。旧アクターズを実質一人で運営する形になっても、新たなスターの育成に挑戦し続け「沖縄を面白くしたい」「沖縄から世界に通用するスターを出す」と言い続けていた。アンナさんの考えは、父の正幸さんにそっくりだ。
「それはちょっと嫌です(笑)。私自身が父の教えを受けているので、そうなっちゃうのかな」
―23日から申し込みが始まっている「NEW B.B.WAVES」にはどんな子に来てほしいか。
「あらゆる才能をピックアップしたい。かつてアクターズは歌えて踊れるという子たちというイメージがあり、そうでない子は辞めていった。でも本当はそういう子たちのための場所も作れた。今回は歌に特化していたり、ダンスを徹底的にやったり、モデルのようなルックスに秀でたチームがあったり、いろいろな才能をちゃんと育てて世の中に出したい。裏方の才能もそう。曲作りができたり、プロデュース力があったり、ありとあらゆる才能に出会いたい。エンタメに興味がある子は挑戦して、その子の才能を見つけさせてほしい」
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令和版「B.B.WAVES」オーディションは3月12日まで。応募資格は4月時点で小学4年生のから高校3年生の沖縄在住者。経験、性別、国籍は問わない。親権者の同意が必要。オーディション開催日は4月8、9日。詳細はアクターズ公式SNS。