積め・燃やせ・生きろ/高柴三聞<琉球詩壇・2月4日>


社会
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積め・燃やせ・生きろ 

高柴三聞(浦添市)


 

クリスマスが終わってそろりそろりと正月が近づいて来た頃のこと。誰かが、呟いた。
二人の幼い子を連れた母親が、子供もろとも電車に身を投げた。誰か思い留めさせてくれる人はいなかったのだろうかと。
苦い思いが静かに立ち上る。子供達は最後のクリスマスのケーキを美味しくたべられただろうか。今年の冬はとりわけ寒さが厳しくて胃の辺りがげっそりとしてくる。
このところの世の中は勇ましい言葉が中空を飛び交っている。
「防衛費二倍」、「敵基地攻撃能力」などなど。
苦しい日常を送る人々には何の意味もない言葉たちである。
生きていく営みは抗うことでもある。
だから、失われた命を軽薄なスローガンにかき消されないように、心の中の暗い静かな場所に、小石を積んで塚を作ろう。例え誰かに崩されても何度でも積み直そう。
独りの力はせいぜいが燐寸(まっち)ほどの灯(ともしび)ぐらいなものだ。人ひとり温めるのにも到底足りないくらいの灯も、ふと誰かの目に留まってその人の気持ちに生きる希望の火種と変わるかもしれない。
だから、消されても、消されても何度でも灯を燃やそう。
そして生きろ。


西原裕美・選

寸評

言葉にスピード感があり、内容も一貫しており、インパクトが残る。