酒、ギャンブル…依存回復には「つながり」重要 4日、浦添でフォーラム 沖縄


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断酒会に通う山下さん。断酒を始めた頃に支えられた思いを、別の人にもつなぎたいとの思いがある=1月20日、北谷町保健相談センター

 酒やギャンブル、薬物、ゲームなどが自制できない依存状態になり、本人だけでなく家族などを巻き込み、長期間にわたって苦しむ人は少なくない。当事者が回復への道を歩み続けるには、医療機関や自助グループなどの「つながり」が必要だ。こうした現状や支援の重要性を理解してもらうため、4日午後1時から浦添市のアイム・ユニバースてだこホールで、県立総合精神保健福祉センター主催のアディクションフォーラムが3年ぶりに開かれる。開催を前に、酒依存を乗り越え仲間とともに断酒を続ける山下芳雄さん(61)の体験を紹介する。

■朝から飲酒

 1月20日、北谷町保健相談センターで開かれた県断酒会例会。断酒8年目の芳雄さんが妻の昌江さん(62)と席に着き、酒をやめられなかった無力さと、自分を支える昌江さんなどへの感謝を語った。

 始まりは20代。兄に誘われた建築現場の仕事は「ワルばかり」で朝からビールは当たり前。夜にはしご酒をしても、仕事はきっちりこなす周囲の生き方に染まった。

 職場を県外に移した後も日中から酒を飲む生活が続く。遠方の現場へ向かう高速道路の運転中が、朝から気分を高めるための飲酒時間となっていた。35歳の頃、手の震えを抑えるために酒を飲むようになっていた。

入院治療中から続ける「断酒日記」。生き方を示してくれる矢沢永吉のロゴの下に「謙虚」の文字を記す。過去を忘れず断酒の日々を続ける思いを書き綴っている

■現実逃避

 きょうだい5人中、兄3人を酒害で亡くしている山下さん。兄の手が震えていた記憶が呼び起こされたが「もう飲み続けるしかなかった」。朝礼で酒が切れて足が震える同僚と「俺らはアル中(アルコール依存症)ではないよな」と励まし合い、胸の中では「俺は仕事に穴は開けていない」と自尊心を膨らませ、現実から目を背けた。

 一方、体は悲鳴を上げていた。アルコール性てんかんや腹膜炎、すい炎を起こし、度々職場で倒れた。料理中の大やけどで集中治療室に入ったり、自分が建設に関わった拘置所に飲酒運転で入ったりもした。離脱症状に苦しんでも日常に戻れば酒をあおる。仕事より酒。人生の軸は崩れていた。

■自分と向き合う

 51歳で沖縄に戻ると、アルコール依存症の平均寿命とも言われる52歳で治療を始めた。琉球病院への3度目の入院中、当時90代の母親のために断酒を決意し、退院後は断酒会に通い続ける。

 依存症は「否認の病」とも言われ、生活破綻まで治療に向き合えない人や自助グループに通うのをやめてしまう人もいる。山下さんにも、支援の輪から離れて亡くなった友人がいた。だからこそ「自分の弱さを認め、過去の愚かさや恥をさらけ出すことが大事。酒で間違った勇気を持つより、自分を裸にする勇気が変化につながる」と、例会に通い続ける。

 断酒会では「例会、守るあなたが守られる」と語られる場面がある。時にスリップ(再飲酒)しながらも、仲間や支援者につながる「糸」を握り続ける思いが表れる言葉だ。一人で立ち向かうことが難しいからこそ、山下さんは「依存に苦しみながら、人生を再出発しようとする人がいることを知ってほしい。悩んでいる人は一歩踏み出して。変わっていく自分が分かると思う」と、フォーラムへの参加を呼びかけた。

 フォーラムは事前申し込みが必要。問い合わせは県立総合精神保健福祉センター098(888)1443。
 (嘉陽拓也)