稽古は365日…「キング」喜友名諒、記憶にも記録に残る偉業と鍛錬の日々


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東京五輪 空手男子形決勝 喜友名諒の演武=日本武道館

 県勢初の五輪金メダリスト、日本選手権で前人未到の10連覇、ギネスブックへの登載―。数々の金字塔を打ち立ててきた第一人者が一線を退いた。喜友名諒は2021年に行われた東京五輪で空手発祥の地の出身として出場を果たした。空手が競技初採用された自国開催のその大会で初代王者となった。今後はさらに修行に励みつつ、後進の指導に当たるとみられる。裂帛(れっぱく)の気合みなぎる渾身(こんしん)の形を試合のマットで見ることはできないが、記憶にも記録にも残る選手として、色あせることなく県民の心に残り続ける。

 2018年2月を最後に国際大会で負けなしのまま競技生活を終える。その圧倒的な強さは求道者とも呼ぶべき、ひたむきな研さんと鍛錬に裏打ちされていた。

 空手の源流の一つ、那覇手の流れをくむ劉衛流。受け継いできた先達に連なる者としての誇りを胸に、積み重ねた鍛錬の日々だった。

 「日々の稽古でさまざまな気づきがある」。世界選手権での連覇を重ね始めて以降の言葉だ。そのたゆまぬ姿勢でどん欲に技を突き詰め続けた。重量挙げのトレーニングを取り入れたこともあった。より高みを目指して、形に生かすべき目線のやり方、手つきの妙を琉球舞踊に求めるなど、探究心は尽きなかった。

 練習量もすさまじかった。中学3年で門をたたいた劉衛流の佐久本嗣男師との約束は「稽古は365日やること」。その通りに完全休養の日は皆無だった。そうして打ち立てた数々の偉業だ。特に日本選手権では20年に史上最多となる9連覇を達成。21年に10連覇へと伸ばした。相手を射抜くような目線の鋭さで、繰り出す形は抜群のキレを誇った。その圧倒的な強さはやがて「キング」の異名を取った。

 22年に入ると個人戦には出場しなくなった。昨年12月の全日本選手権を欠場した際には前年大会での10連覇を区切りとしたい意向が伝えられていた。その直後の12月、結果として最後の国際試合となったウズベキスタンでのアジア選手権団体形には盟友の金城新、上村拓也と組んで挑み、6連覇を達成していた。


<喜友名諒プロフィル>

 きゆな・りょう 1990年7月12日生まれ。沖縄市出身。170センチ、78キロ。高原小、沖縄東中、興南高、沖縄国際大出身。5歳で空手を始め、中学3年から劉衛流の佐久本嗣男氏に師事。大学2年で日本代表入り。全日本選手権は2012年から10連覇。2年ごとの世界選手権は14年から21年まで4連覇。連覇回数と空手1プレミアリーグ19勝がギネス世界記録に認定されている。