故郷に残る家族を思う日々…沖縄に避難するウクライナ人女性の願い 侵攻から1年


この記事を書いた人 Avatar photo 瀬底 正志郎
故郷のウクライナについて語るアリナ・グラチョバさん(左)とソフィア・グルチュクさん=1日、那覇市田

 ロシアがウクライナに軍事侵攻してから24日で1年。国連難民高等弁務官事務所によると、ウクライナから近隣国に避難した人は約800万人に上る。沖縄には16世帯23人のウクライナ人が避難してきている。那覇市に住むソフィア・グルチュクさん(21)とアリナ・グラチョバさん(27)はロシアによる軍事侵攻を機に、昨年春から夏にかけて沖縄に移った。元々、日本への留学を希望していた2人だが、「戦争が理由で来たくなかった」と複雑な心境を明かす。

 ■残る家族の心配

 ウクライナでは徴兵対象の18~60歳の男性は出国が認められておらず、一家全員での避難は容易ではない。2人の家族も現地に残っている。

 ソフィアさんの実家がある北西部のリヴネは、直接のミサイル攻撃などは受けていないが、現在も空襲警報が日常的に鳴る状況だという。昨年の軍事侵攻後には東部から避難民が押し寄せてきた。

 徴兵の対象に当たる父はポーランドで働いていたが退職し、現在はウクライナで働いている。母と16歳の弟も一緒に暮らす。電力の制限があり、1日に朝2時間と夜2時間の合計4時間しか使えない日もあるという。「厳しい寒さの中、家族は何枚も服を重ねて暖を取っている」と話す。

 アリナさんの自宅がある西部のフメリニツキーには軍の施設があり、発電所やガソリン施設などが攻撃を受けて破壊された。男性の友人らは次々と徴兵された。

 同地域にはミサイルを打ち落とす防空システムもあり、危険と隣り合わせだ。父と母が残る自宅は無事だが、連絡が途絶えると何かあったのではと心配が尽きない。

 家族とは、ほぼ毎日ビデオ通話アプリで連絡を取る。1日の出来事や何を食べているかなどたわいのない話題を交わし、「なるべく楽しい話をしている」(アリナさん)という。
 

学校のイベントで着物を体験するとアリナ・グラチョワさん(左)とソフィア・グルチュクさん(提供)

 ■沖縄での暮らし

 2人は現在、国際言語文化センター付属日本語学校(ICLC)で日本語を学びながらアルバイトをして生活する。ソフィアさんは日本に避難しているウクライナ人の子どもに、ウクライナ語を教えるアルバイトをしている。子どもたちがウクライナ語を忘れないようにするためだ。

 休日は長年沖縄に住んでいるウクライナ人家族の案内で、桜を見に行ったり水族館を訪れたりと楽しみもあるが、故郷のことが頭を離れることはない。学校で日本語を勉強している時は唯一、「戦争のことを忘れられる時間」(アリナさん)だ。

 戦争が終わっても、ウクライナは経済の立て直しに時間がかかるとみられ、2人はしばらく日本に住むつもりだ。ICLC卒業後はアリナさんは日本で仕事を探し、ソフィアさんは大学院への進学を考えている。

 ソフィアさんは「早くウクライナ行きの飛行機に乗りたい」と話し、故郷に帰れる日を待ち望んでいる。

(中村優希)