prime

追求してきた「理想の沖縄そば」の秘密とは 南風花(はいばな)食品社長・仲筋信夫さん <県人ネットワーク>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 地元に思いをはせながら、理想の麺を追求し続ける。石垣島の旧大浜町(現石垣市)出身の仲筋信夫さん(65)は、東京都内で沖縄そばの製麺所「南風花(はいばな)食品」を営んでいる。味や食べ応え、日持ちなどを考えた麺づくりを追求、関東圏を中心に販売する。

仲筋 信夫さん

 大浜中学校を卒業した後、埼玉県の工業高校に進学した。高校卒業後は電器店で働いていたが、県出身者の知人の紹介で、沖縄そばの製麺所でも働くことになった。竹富町の黒島出身者が経営しており、都内で県出身者が営む沖縄料理店などに配達していた。「給料をもらいながら、食べるのにも困らない」と昼は電器店で働き、夜はそばの麺を配達した。

 仲筋さんが25歳の時、その製麺所が閉所となる。麺を買ってくれていた飲食店にとっては麺の仕入れ先がなくなることを意味した。配達ルートを把握していた仲筋さんに期待が寄せられ、それに応じる形で仲筋さんは東京都稲城市で製麺所を始めた。

 石垣市の実家は精肉店で、そばも出していて余ったらよく食べていた。「もともとそばが一番好き。だから(麺づくりを)覚えるのも早かった」と振り返る。

 会社名の「南風花食品」は、実家の屋号「はいばな」から取った。地元への思いを込めながらも、商機は県出身者以外にも見いだした。「東京都民もラーメン感覚でそばを食べられるように縮れ麺にした」と話した。

 現在は関東圏を中心に北海道や岩手県のほか、沖縄県内も含め約600店舗に麺を届けている。長年使い続けてくれる顧客が多いという。さらに一般家庭でも気軽に食べてもらえるよう、近く大手スーパーチェーンに麺を卸し始める計画だ。

 1年ほど前には工場が立ち退きとなって府中市に移転した。地域になじむため、敷地を開放してミニ沖縄物産展も開催した。関東に出てきた当初は「そば屋」になるとは「想像もしていなかった」と言うが「いろんな人と知り合えて、そば屋で良かったと思う」と笑顔を見せた。

 一番の楽しみは、理想の麺を追求することだ。研究の末にたどり着いたのが、食べる箇所によって太さが異なる麺だ。太さが3段階に変わる特注の刃を導入している。そうすることで、ゆで上がった時の食べ応えが強く出る。味や食べ応えのみならず、販路拡大のために長持ちするよう工夫もしている。

 40年続けてきて麺の完成度は「(百点満点中)80、90点には来たかな」と胸を張る一方「(永遠に)満点はない」と語る。仲筋さんの挑戦は続く。
 (明真南斗)


 なかすじ・のぶお 1957年8月、旧大浜町(現石垣市)生まれ。大浜中学校を卒業後、埼玉県の工業高校に進学。25歳で製麺所を始める。有限会社「南風花食品」社長を務める。東京工場のほか、石垣市にも工場を置く。