沖縄に勇気と希望与えた 大江健三郎さん死去 県内関係者ら悲しみの中で決意「平和への思い引き継ぐ」 


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名護市議の東恩納琢磨さん(右)らの案内で辺野古新基地建設の現場を視察する大江健三郎さん=2015年6月20日、名護市の辺野古沖

 平和を求め続けたノーベル文学賞作家の大江健三郎さんが88歳で亡くなった。日本復帰前に「沖縄ノート」を執筆し、戦後の民主主義を問うた。沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)の記述を巡り提訴されるも、2011年に勝訴が確定。積極的に平和を訴える大江さんの姿は、平和を願う県民に勇気を与えた。生前に関わりのあった県内関係者は悲しみつつ、平和への思いを引き継ぐ決意を示した。

 親交のあった元沖縄タイムス社長でジャーナリストの新川明さん(91)は「沖縄の良き理解者が亡くなったという点で、沖縄にとって喪失が大きい」と話した。出会いは1965年。八重山支局にいた新川さんを大江さんが訪ねてきた。その出会いは沖縄ノート執筆の基礎になるほど大きかった。「民主主義を守る上で沖縄が果たすべき役割は大きいと、はっきり主張し沖縄を励まし続けた」と影響の大きさに思いをはせた。

 渡嘉敷島の「集団自決」(強制集団死)で生き残った平和ガイドの吉川嘉勝さん(84)は、講演会などで顔を合わせてきた。教科書から日本軍強制の記述を削除した検定意見に抗議する2007年の県民大会で体験を語り、大江さんは「裁判の大きな力になった」と語ってくれたという。「沖縄戦に関心を持ち向き合ってくれた。関係者に勇気を与えてくれた」と感謝した。

 大江・岩波裁判で原告側の主張に反論した沖縄女性史家の宮城晴美さん(73)は「沖縄の人間として、(大江さんの思いを)どう受け継いでいくか考えないといけない」と語る。憲法9条の大切さを訴えてきた大江さんの姿に、「今度は私たちの役割になる」と気持ちを新たにした。

 詩人の川満信一さん(90)は、沖縄ノート出版時は沖縄へ「同情」する文章に不満も感じたという。それでも戦前生まれの同世代として「反戦」や「アジアとの共生」という考えは「共通していた」。近年の戦前のようなきな臭さを憂いつつ、大江さんという人物を通し「若い世代が平和への思いを受け取らないといけない」と強調した。

 名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で初対面した「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」の山城博治共同代表(70)は、「戦争に傾く時代に大江さんの不在はとても痛い」と喪失感を口にした。辺野古の新基地建設中止を求め、有識者らと共同で声明を発表した大江さんを「沖縄に寄り添い、先頭に立ってエールを送ってくれた」と振り返った。
 (中村万里子、金盛文香、金良孝矢)