親子2代「基地」に翻弄 父は北谷の土地を接収され移民、子は陸自が隣接 石垣市のサトウキビ農家の男性


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陸上自衛隊の石垣駐屯地開設について、思いを語る喜友名朝福さん=3日、石垣市

 16日に開設する陸上自衛隊石垣駐屯地(沖縄県石垣市)近くの於茂登(おもと)地区は、戦後、米軍に土地を接収された沖縄本島の住民が多く入植した地域だ。地区に住むサトウキビ農家喜友名朝福さん(63)の父もその1人。「古里の土地も墓も全部、基地に奪われた」。親子2代にわたって「基地」に翻弄(ほんろう)されることになった喜友名さんは不条理さを訴える。

 喜友名さんの父朝徳さん(99)は太平洋戦争後の軍用地接収で現・北谷町を追われ、その土地は今も米軍嘉手納基地のフェンス内にある。朝徳さんは沖縄の日本復帰前の1957年、接収された人の移住先確保や食糧難解決を目的とした琉球政府の「計画移民」となり、石垣島に渡った。

 地区は沖縄で最も標高が高い於茂登岳(約526メートル)の麓にあり、かつてジャングルや原野が広がっていた。地区の資料によると「農業条件は悪く、いくら石を掘り出しても、次から次へとごろごろ出てきた」。マラリアにも苦しんだが、手作業で開拓し、今では整備された農地が広がる。

 喜友名さんは、約20年間料理人として働いた後「両親が苦労して作り上げた畑を守りたい」と農業を受け継いだ。そうした中、石垣への自衛隊配備計画が浮上。中山義隆市長は2016年、受け入れを表明した。

 地区は駐屯地を容認できないと全会一致で決議したが、建設は進んだ。是非を問う住民投票も実現しなかった。

 駐屯地があることで戦闘に巻き込まれるとの懸念は根強い。農業の嶺井善さん(57)は「(銃の)筒の先はここに向けられているのではないか」と危惧する。有事の際どこに避難すればいいのか。「船が来なければ1週間で食料は消える。海の上は歩けない。生きられるわけがない」と憤った。

 移民として来た世代からは「全部取られてここに来て、また『基地』か」「本島で生活ができなくなって来たのに…」との声が上がる。喜友名さんは言う。「静かな場所が良かったが、何を言おうと、政府は耳を貸さない。『もう受け入れたでしょう』と」
(共同通信)