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東大の野球部員からお笑い芸人へ 初沖縄出身の野球部員・島袋祐奨さんの挑戦<県人ネットワーク>


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沖縄から初の東大野球部員として4年間を駆け抜けた島袋祐奨さん

 憧れだった東京六大学の舞台で4年間、野球をやり抜いた。「4年生のラストシーズンになってようやくチームの一員として戦えた」と振り返る。チームは秋季リーグで12戦して1勝10敗1分という成績に終わったが「後悔はまったくない」と潔い言葉とともに充実感をにじませる。

 東大野球部創部100周年となる2019年に、それまで一人もいなかった沖縄出身の選手として野球部に入部した。きっかけは春先の東大野球部の沖縄合宿時に、那覇国際高校で行われた合同練習に参加し「東大は雲の上の存在じゃない。頑張れば自分も東大に入れるかもしれない」と感じたことだった。

 そこから「東大を目指す」と宣言し、野球部では副キャプテンを務めながら勉強に励んだが、2次試験で点数が思うように伸びず現役合格はかなわず。寮生活を送りながら1年間、福岡の予備校に通って、翌春に見事、合格を勝ち取った。

 大学では肩の強さを見込まれ、高校時代に守っていたセカンドからショートにコンバートされるなど自分なりに手応えを感じながらライバルに負けないよう居残り練習にも取り組んだ。しかし、大学野球のレベルの高さは想像以上。自主性を重んじる東大野球部で、授業以外の時間はグラウンドに来て、素振りや筋トレなどの練習に自発的に取り組む仲間たちの姿に、自らの野球への向き合い方が問われているようだった。

 「もともと野球のうまい人が、さらに上手になるためにとことん練習する。その意欲と行動力に『自分は勝てないな』と感じた」。神宮球場でプレーすることを夢見て東大野球部の門をたたいたが、2年生の時に学生コーチへの転身を決意した。選手としてもうグラウンドに立てなくなると思うと、心残りや葛藤もあったが、自ら手を上げた。

 プライドを持って、シートノックやバッティングピッチャーといった役割を全うした。「同じ目標を共有しながらさまざまな人たちと付き合えたことは大変さもあったが、面白かったし、勉強にもなった」。チームのために思いを巡らせながら過ごした4年間は、かけがえのない時間となった。

 卒業後は、東大らしく、どこかの有名企業に就職するかと思いきや「お笑い芸人を目指し、4月から吉本興業の芸人養成所(吉本総合芸能学院=NSC)に入所する予定。自分の人生にドキドキしたいと思い、3年の秋ごろには決めた。才能がものをいう世界だと思うが、どこまでできるか挑戦してみたい」と屈託なく話す。

 好きな芸人に「オードリー」と「男性ブランコ」の名前を挙げ「面白いだけじゃなく誰にも発想できないようなネタで勝負できる芸人を目指したい」と意気込む。不安はないか尋ねると「これから自分がどうなっちゃうのかすごく楽しみ。やる以上は、つらいことがあっても切り抜けて、一人前の芸人になれるよう頑張りたい」と目を輝かせた。
 (和田清首都圏通信員)


 しまぶくろ・ゆうすけ 1999年11月23日生まれ、那覇市出身。安謝小、安岡中、那覇国際高。一浪後、2019年に東京大学文科二類入学。内野手として野球部に入部するが2年途中から学生スタッフに転身。家族は両親と姉2人。