沖縄戦慰霊碑「南北之塔」に刻まれた「キムンウタリ」とは アイヌと沖縄の絆 糸満真栄平


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糸満市真栄平住民との交流のため南北之塔を訪れたアイヌ民族の秋辺日出男さん(左)と玉城美優亀さん(中央)、2人の知りあいでともに訪れたバンド紫の宮永英一さん=昨2022年5月(玉城寿明さん提供)

 沖縄戦で亡くなった数千人の兵士や住民の遺骨が眠る糸満市真栄平の「南北之塔」。納骨堂の上に立つ慰霊碑の側面にはアイヌ民族の言葉で「キムンウタリ」(「山の仲間たち」の意)と刻まれている。沖縄戦に従軍したアイヌ民族出身の元日本軍兵士、故弟子(てし)豊治さんと真栄平住民の交流により碑文は刻まれた。だが説明板にアイヌ民族についての言及はなく、なぜここに足跡があるのかはうかがいしれない。

 アイヌ民族のアイデンティティーを持つ玉城寿明さん(35)は、南北之塔を通して双方の絆を強めようと模索している。

 1960年代、琉球政府は那覇市識名の中央納骨堂に、各地の納骨所の遺骨を移転するよう要請していた。真栄平区はこの要請を拒否し、地域で戦没者を弔おうと資金を出し合い、66年に南北之塔を建立した。

 南北之塔の名称は「北は北海道から南は沖縄まで全国の将兵と沖縄の住民を弔う思い」から命名された。真栄平住民と懇意にしていた弟子さんは納骨堂の上に立つ慰霊碑を寄贈した。自身が所属し真栄平周辺に展開した「山三四七六部隊」にちなみ「山の仲間たち」の碑文を慰霊碑に刻んだ。

 弟子さんの縁もあって南北之塔にはかつてはアイヌ民族が定期的に訪れ、慰霊祭を催していた。だが80年代に出版された本に弟子さんが主導して南北之塔を建立したかのような記述があったことで双方の絆に亀裂が入った。住民は「『アイヌの墓』ではない」と怒り、2001年には糸満市議会に陳情を提出する事態にまで発展した。

 寿明さんと母の美優亀さん(62)は真栄平住民とアイヌ民族の交流が続くことを願う。そこで昨年5月に親戚の阿寒アイヌ工芸協同組合専務理事の秋辺日出男さんを南北之塔に招いて真栄平の住民と交流した。今年6月の慰霊の日の前の清掃活動にも秋辺さんを招く予定だ。

 寿明さんは「南北之塔は沖縄戦の残酷さを伝える塔であると同時に、アイヌと真栄平の住民がお互いの人種を越えて絆を強めた象徴でもある。双方が理解し合う場になってほしい」と語った。美優亀さんは一つだけ願う。「沖縄とアイヌがお互いを知り、交流を続けてほしい」
 (梅田正覚)