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球児からの転向 初の沖縄からの表彰台を目指して 男子やり投げ・比嘉遥<ブレークスルー>


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80メートル台の記録で日本選手権表彰台を目指し、トレーニングを重ねる比嘉遥=沖縄市陸上競技場(謝花史哲撮影)

 地肩の強さを生かし、九州共立大で男子やり投げの才能を開花させた比嘉遥(24)=興南高出=が大学院までの6年間を過ごした陸上部を卒業した。4月からは福岡にある会社に勤務しながら競技を続ける。目標は6月の全日本選手権。男子やり投げ県勢初の表彰台を目指し、新たな環境で一歩を踏み出す。

■素質

 元々は球児だった。久辺中で野球部に所属する傍ら陸上大会のジャベリックスロー種目に出場。3年の時には第55回県中学大会で県中新の82メートル67を記録した。勢いに乗ってJOCジュニアオリンピックで大会新の81メートル11をマークし全国一に輝くなど、やり投げの素質をのぞかせた。

 ただ当時は甲子園を夢見て強豪の興南高に進学。陸上は遠のいたが、外野手として遠投力は磨かれ続けた。3回戦で敗れた最後の夏。当時会場となったコザしんきんスタジアム隣の沖縄市陸上競技場では九共大が合宿中だった。以前から比嘉の才能に注目していた投てき指導の第一人者である知念信勝さんの声掛けで翌日には参加。競技に打ち込むうちに「五輪を目指したい」という気持ちが芽生えた。

■記録更新

 進学した九共大で本格的なトレーニングに取り組み、迎えた10月のU20日本陸上競技選手権大会では、70メートル22を記録し初優勝を飾った。約半月後には西日本カーニバルで22年ぶりに県記録を塗り替える71メートル31をマーク。競技を始めて1年3カ月での快挙だった。

 元々の肩の強さに加えて大学で足腰を強化。助走からやりを投げ出す動作にも天性の滑らかさがあり、飛距離を伸ばした。

 しかし遠投の負荷に体がついてこなかった。肩だけでなく太ももにも痛みが出るなど、大学院1年まで「年間通して試合できたことがなかった」という。「体を鍛えるだけでは駄目。柔軟性をなくさないようにしないと、けがにつながる」とトレーニング法は試行錯誤が続いた。

男子やり投げの比嘉遥

■全国表彰台

 ただ、けがに苦しむ中でもベストは出し続けた。大学院1年終わりの3月には、74メートル53まで県記録を伸ばした。その後は大きなけがに悩まされることもなく体調を維持。「やっと体のつくり方ができてきた」と飛距離の水準が向上し、大学院2年は収穫の多い1年を過ごすことができた。

 さらなる飛距離更新へ。課題は、助走の安定化と投げる直前に前足を前方の地面に突っ張る「ブロック動作」の改善だ。「助走の力をどれだけ乗せられるか」と助走の速さを伝える技術の向上に力を入れている。

 現在の沖縄県記録は75メートル30。後輩の南辰貴(石川高出―九共大4年)が昨年10月に塗り替えた。4月からは福岡在となるため、3月の九共大チャレンジ会が県新を残す最後の機会だったが、達成できなかった。

 悔しい終わり方にはなったが、気持ちを切り替え、自己記録更新を図る。まず目指すは80メートル到達。「日本選手権に出て入賞したい」とメダルを狙う。競技歴6年。限界はまだまだだ。「納得いくまでやっていきたい」とフィールドに大きなアーチを描く。

(謝花史哲)