那覇から北に約2500キロに位置する北海道枝幸町(えさしちょう)。オホーツク海に面する北国の町に「沖縄」と名が付く川が流れている。「沖縄の沢川」だ。なぜ北海道に沖縄が? 調べてみると両道県の意外な縁が見えてきた。
沖縄の沢川があるのは、枝幸町にある旧歌登(うたのぼり)町(ちょう)地域だ。歌登町は2006年に枝幸町と合併し廃止された山あいの町で、川はこの地域をひっそりと流れている。周囲に民家はないが、川に架かる橋には「沖縄の沢川」の文字が記されている。
「オホーツクミュージアムえさし」(枝幸町)の高畠孝宗館長によると、第2次世界大戦中の1945年、宗谷岬には日本軍の部隊があった。そしてこの部隊の一部が歌登に、援農として派遣されていた。派遣隊には九州や沖縄出身者が多くいたという。
同年8月、日本は戦争に敗れた。歌登に来た兵士らは次々と復員したが、沖縄出身者約30人は帰れなかった。遠く離れた故郷がアメリカに統治されていたからだった。
歌登の人たちは彼らの生活を支援した。町史には、沖縄の青年たちが歌登に入植ができるよう、地元の人々が奔走したと記されているという。「みんなで助け合い暮らしていたようだ」。高畠館長は当時の記録から推察する。歌登で最も多く入植があった地域は次第に「沖縄の沢」と呼ばれるようになり、川の名前にもなった。
だが冬場は氷点を30度も下回る極寒の山間部。入植は困難だった。
次第に人は離れ、今では当時をしのばせるものはほとんど残っていない。地元でも名前の由来を知る人は少ないという。
そうした中で近年、首都圏の若者たちが沖縄の沢の歴史を語り継ぐ取り組みを始めている。
麗沢大(千葉県)の山川和彦教授(観光学)のゼミは数年前から、オホーツクミュージアムえさしとの交流促進事業で、町を訪れる活動を続けている。沖縄の沢は、ゼミ生に沖縄出身者がいたことから高畠館長に紹介された。
ゼミ生で、この春、大学を卒業した石垣市出身の黒島清花さん(22)は、石垣島の地元紙に沖縄の沢について投書するなど情報発信に取り組んできた。
黒島さんは「北海道に“沖縄”があるとは知らず驚いた。戦争のため自分の意志ではないところで暮らさざるを得ない人たちがいたということを、多くの人に知ってもらえて良かった」と振り返る。
沖縄の沢の雪解けが始まるのは例年4月ごろと、本家・沖縄ではうりずんの季節。遠く離れた南国と北国だが、その縁は途切れず残り続けている。
(西銘研志郎)